さう、伯父さんてばね、あたしみたいな娘、女学校へ通はせとくのは勿体ないんですつて……。
らく  ほんとだよ。
桃枝  少女歌劇へ出たら、さぞ人気が出るだらうつて云ふの。
らく  馬鹿だ、あの伯父さんは……。さ、そいぢや、これは後のことにして……。お前、ちよつと火鉢のお火をみといておくれ。(干してある礼服の埃を払ひ、それを持つて奥にはいる)

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桃枝も、一旦奥へはいるが、再び現はれて卓子の上の通帳をめくつてみる。眼を見張つたり、口を尖らしたり、笑ひを噛み殺したりする。やがて廊下に跫音。急いで、素知らぬ風を装ひ、バルコニイの方へ歩を運ぶ。
らくがコサツク帽を手にもつてはいつて来る。
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桃枝  なあに、それ?
らく  トランクの底から出て来たの。
桃枝  これで帽子だわ。
らく  惜しいことに、こんなに虫がついて……。
桃枝  (独語のやうに)なんだか変ね、この家《うち》……。こんな帽子かぶる旦那さんがゐてさ、十年も前に死んだ奥さんの写真が、あんなところに飾つてあつてさ……。
らく  (帽子をバルコニイの手摺にのせながら)それがどうして変だい。お前こそ、子供らしくないよ、余計な事にこせこせ気がついて……肝腎の勉強はお留守でせう。(間)今日はもう遅いから、お茶はこの次のことにして、その代り、ぽつちりだけど、お小遣をあげよう。(帯の間から蟇口を出し、五十銭銀貨を一つ渡す)
桃枝  いいの、貰つて?
らく  遠慮する柄かね。でも、一人で活動なんかへはいるならあげませんよ。
桃枝  ふふ……ぢや、あたし……。
らく  あ、ちよつとお待ち……ことによつたら、今日は、お嬢さんたちお帰りがおそいかも知れないから、お前あたしと一緒にごはんたべてかない?
桃枝  ええ、ご馳走があれば……なんて……。

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その時、扉の入口へ、沢一寿の姿が現はれる。
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一寿  ほう、来とるな。
らく  おお、びつくりした。何時お帰りでしたの? 玄関は開きましたんですか。(娘を追ひ出すやうにする)
一寿  もうぢき、お客さんがみえるから、何時かの葡萄酒を出してな。それから、飯はどうなるかわからんが、ともかくスキ焼ぐらゐできるや
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