るに自信をもたせなければいけないと思ふ。さういふ意味で明治初年の政治家はやはり文化性をもつてをつたやうです。例へば国民に対する告示にしても、文章は立派であるし、またそのなかには確乎たる見識があつた。決して人に書かせたものを読むといふやうなことはしなかつたのぢやないかと思ふ。政治家の情熱が国民に直ぐ伝つて行く。これがつまり芸術性で、さういふ点をよほど考へなければならぬのではないかと思ふのです。それから、例へば音楽と美術に就ては官立の学校がありますけれども、いろいろ民間に起つてをります文化運動に対して、政府はもう少し関心をもたなければならぬのぢやないかと思ひます。勿論その中にはいゝものも悪いものもありますが、いゝものほど苦労してゐる実情ですから、そのいゝものを助成し、これを育てるといふ意図を政府が示して、補助とまでは行かないまでも、さういふものゝ存在を認めて、それに眼をつけてゐるといふことをはつきり感じさせる、かういふ政府の政治的態度が国民に非常な希望を与へることになる。この点に就ては、私は今まで実際にさういふ運動([#ここから割り注]新劇運動を指す[#ここで割り注終わり])に関係してをり
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