する精神は、これはその弊害或は病根といふものに対しての是正であり、摘出である。所謂左翼思想が資本主義と対立し、それを敵とするといふやうな悪い意味に於るラヂカルなものではない。そこがはつきり違ふのではないかと思ふのです。またその資本主義経済といふものも、左翼的な眼で見た資本主義の全面的な否定といふものと、今日翼賛運動といふものから見た資本主義の大きな弊害病根といふものとでは、これはそのイメージに於て非常な違ひがあると思ひます。どうも少し非専門的な説明になり、また甚だ自己流の考へ方で、或は言葉が不適当であるかも知れませぬが、大体、そのやうに考へてをります。
ついでに、それと関連して、文化政策殊に思想対策の方針といふ問題でありますが、思想対策といふことになると、これはもう翼賛会の文化部といふものだけでなく、翼賛会全体に関係する問題であります。文化部としては勿論この点に大いに力を注がなければならぬが、同時にまた翼賛会首脳部並に各部との間に十分の連繋を保つて、その方針をひとつはつきりさせなければならぬと思つてをります。
私は青年時代から所謂左翼思想といふものゝ渦中を通つて、幸にしてさういふ色に染らないで今日まで来たのでありますが、自分の身辺に吹き荒んでゐるその左翼的な嵐といふものを身に感じるにつけ、日本の青年が一体どうしてさういふ外国の社会主義思想乃至は左翼思想といふものに眩惑され、またさういふものに引つ張られて行くかといふその経路と動機、それからその根本の理由といふものに就てつくづく考へさせられ、実際さういふ運動に投じた者、或はさういふ運動に投じようとしてゐる者、更にさういふ運動から転向して来た者などの実例を通じて、いろいろその事情を考へて来たのであります。それでこの点は後で司法当局のかたにも御意見を伺つてみたいと思つてゐるのでありますが、その一番大きい原因は何処にあるかといふことであります。日本の青年が学校でいかなる教育を受け、或はまた、社会の思想家たちからいかなる影響を受けようと、自分は日本人である、或は日本の国体は尊厳であるといふことに就て絶対的な否定観念をもつてゐるものは殆どない。勿論さういふ表現をし、或はさういふ表現をせざるを得ないやうな事情に立ち到つたものは相当あつたと思ひますが、本質に於て自分は日本人であるといふ自覚、矜り、さういふものを本当になくしてゐる
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