保健、体育、娯楽、これだけ入れゝば、大体文化部門として文化部の取扱ふ範囲にはひると思ひます。
 翼賛会の思想原理といふ問題ですが、これは先頃の協力会議での近衛さんのお話、それから有馬さんの翼賛会の実践綱領解説のなかに相当詳しくまた明確に述べられてをります。たゞ、こゝで私が少しく砕いてこれを解釈して申上げたいことは、今日翼賛会なるものは一つの政治性をもつべきものであると云はれてをり、また総務会でも大体さういふ方向に意見が、致したやうでありますが、一体この政治性といふことに就ては、所謂外国流の政治といふ概念でこれを解釈してはいけないのであつて、これはやはり日本風の、日本独特の政治理念といふものに立脚したものでなければならぬ。といふのは、これまでの政治に対する観念を考へてみると、国民全体――全体とは申しませんが、大部分の国民の頭のなかで、政府と国民といふものゝ間に何か対立的な意識が絶えず働いてゐる。つまり、治める治められるといふやうな言葉ではまだはつきりしませんが、一方は権力をもち、一方はその権力に服するといふやうな、さういふ対立意識がおのづからこの政治といふ言葉のなかにあつた。さういふ観念は日本本来の大政といふ意味に於る政治とは非常に離れたことである。そこでこの点は将来大政翼賛運動を通じて政治といふ言葉が使はれる場合には、よほど注意しなければならぬのではないかと思ひます。国民は大政を翼賛し奉るといふ意味に於て、やはり「政府に協力する」といふことが国民の建前である。しかもその協力の仕方は上意下達といふ形もあり、また下情上通といふ形に依つてもできる。これが非常に重要な点でありまして、この翼賛会の思想原理つまり政治思想としてのその原理は、さういふ意味に解釈しなければならぬのではないかと思ひます。

 翼賛会は左翼的傾向をもつてゐるとの誤解があるさうであります。これに就ては別に私から申上げる必要もないかと思ひますが、要するに、今日要求されてゐる自由主義経済、或は資本主義経済の全面的修正といふ問題を、いきなり一つの制度乃至組織原理の根本的変革といふ風に考へてしまふと、当然これに対立する思想として、左翼思想といふものが今日まで考へられてゐたところから、さういふ誤解も生じたのかと思ひます。しかしこの翼賛運動を通じて今日までの自由主義経済、或は資本主義経済といふものを批判し、それを是正
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