劇術より見たる戯曲構成の論議や、そんな風なことはどうでもいい。ほんとに、もうどうでもいいのである。われわれ芸術家並びに芸術愛好者にとつては。それよりも、一人の作家の一つの作品を、頭のいいものなら十度、頭の悪いものなら十五度(その差大ならず)ばかり読み返すんです。勿論原書でさ。翻訳などは当てにならない。ただ読まないよりはましくらゐなところだ。そこで、原書を読む。人物の心理に細心の注意を払ひながら、その心理的波動の韻律に耳を澄ましながら、そして、その舞台の雰囲気に敏感な神経を働かせながら、自らその人物に扮した気持で台詞を云つてみるのである。その時、諸君は気がつくであらう。ただ一つの、例へば「いいえ」といふ言葉が、如何に「言はる」べきか、如何に「言ふ」べく書かれてあるか、如何に云ふことによつて、その人物の心理が最も鮮やかに、前後の関係に於て、最も美しく、諸君の耳に、心に、生命全体に響いて来るかといふことが。試みに今この「いいえ」といふ言葉の「言ひ方」が幾通りあるか思ひつくままを挙げてみよう。調子を表はす符号はないから、その調子を出すために他の言葉をつけ加へてみよう。
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