「いや、今の日本現代劇がまだほんとの現代劇になつてゐないので、詰り西洋で古典劇と区別される近代劇、その区別されるところだけを、日本在来の芝居に取つて附けたやうなもので、西洋では古典劇から近代劇を通じて、ある一貫した伝統――劇的伝統がある。その伝統をわれわれは残して来てゐるから、いつまでも日本芝居の伝統から離れた新しい芝居が生れないのだ。まあ見てゐ給へ、そのうちには西洋劇がそのまま、完全な姿で、日本の現代劇になるよ。勿論、それと同時に、日本劇の伝統から、新しい現代劇が生れるかもしれない。なほまた、日本劇の伝統と西洋劇の伝統と、二つの伝統がうまく融合統一されて、第三の日本劇が出て来るかもしれない。さうなつたら、見ものだぜ。どうだい」と、いふやうなつもりで、こんなことを云ひ出したのである。
どうも、同じことを方々に書く恐れがあるが、従つて外のことは何にも問題にしないやうに思はれる恐れがあるが、今のうちは、そんなことぐらゐ我慢する。
要するに、外国劇の研究をもう一度し直す必要がある。それには、もうそれぞれの作家、それぞれの作品の、文学史的考察や、思想的傾向の吟味や、所謂、独逸流演劇学者の作
前へ
次へ
全12ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング