たしか死後二十五年を期して公表するやうに遺言されてあつたのを、丁度その二十五年を経過した一九二一年に、新聞「マタン」がいちはやく、あれはどうなつたのかとアカデミイ・ゴンクウルへ宛てゝ督促の記事をかゝげた。日記の原稿の保管は巴里国立図書館がこれに当つてゐたが、出版に関する権限は、このアカデミイが当然もつてゐるのである。
ところが、アカデミイでは、会員中、その公表を尚早とするものがあり、特にアンリ・セアアルはゴンクウルのおぼえあまりめでたくなく、最初の会員名簿には名前が漏れてゐた男であるから、これは強硬に反対した。そこで、たうとう、査閲委員といふやうなものを作つて、この日記を一応読んでみることになり、差支がなかつたら出版するといふことを天下に約束した。ところが、セアアル自身もその委員のうちに加はつたので、天下は唖然とした風であつた。
さて、近頃また、「日記」で話の種を蒔いたのは、例のルナアルである。
この方は、作者の死後十五年を経て出版されてゐるが、別にそれは遺言によつたものではなく、細君のマリイさへ、夫が生前そんな日記を附けてゐることを知らなかつたくらゐで、偶然出版書肆ガリマアルの
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