続言葉言葉言葉(その二)
岸田國士
近頃ある疑ひが私を囚へて放さない。
時代はある行為とある言葉とを奨励し、制限し、これによつて、民衆の趨向を決定しようとしてゐる。ところが、人間はもともと、行為の奴隷でもなく、言葉の傀儡でもないのであつて、その中間に、或は、その二つのものゝ根底に、時としてはこの二つのいづれにも関はりのない「思想」を匿してゐるものである。
この事実は非常に平凡な、誰でも知つてゐる事実であるのに、それを故ら弁へぬやうなやり方が、現在の日本の政治のなかにはある。
もちろん、ひとつの「思想」が行為となり、言葉となる場合もそんなに少くはない。一般には思想の所在がそこにあるやうに考へて差支へない時代もある。ところが、今はさういふ時代ではない。それでいゝのであるけれども、それだけのことは、はつきりさせておく必要があり、寧ろ、さういふところにわが国民の独特な力が発揮されてゐることを世界に誇示すべきである。
文学者は、その行為と言葉とを常に「思想」の上にのみうち樹てる宿命を負うてゐる。時代は彼等の思想を動かすことはあつても、その行為と言葉とを機械的に指向することは不可能だと
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