動家も、警視庁も、これを見逃してゐるのである。
浪曲学校とか漫談学校とか、某々雑誌の常軌を逸した広告とか、総理大臣の写真を毎日のやうに新聞に出すこととか、野良犬の銅像を建てるとか、レビユウ・ガアルが女学生の人気を集めるとか、凡そ、国民教育が普及したと称する国に、あり得べからざる卑俗低劣な現象がうようよと湧き出るのを、誰もなんとも云はないではないか?
私が時々宿を取る某ホテルでは、今年の正月、年賀状をよこした。それはいいが、封筒に十枚ほど中味がはいつてゐて、一階、二階、三階といふ風に、各々、その階で働いてゐる男女傭人の名前が刷り込んである。そして、「本年もどうぞよろしく」である。これや一体、なんだ? 忠臣蔵ぢやあるまいし、連判の年始状など、時代後れの資本家気質だと、一笑に附するわけに行かぬと私は思ふ。これは正しく、趣味の問題である。かういふことを思ひつくのは、そして、それを敢行するのはホテル側の悪趣味は固より、それを見て顔をしかめないお華客が存外多いからである。人を人とも思はぬ時代になつたものだ。うつかりしてゐると、それを平気で、われわれは見過ごすやうになるかもしれぬ。いや、既に、さ
前へ
次へ
全10ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング