に短命ならいいやうなものの、変に抒情詩調の屋号が大都会の真中にああずらりと並んでゐる光景は、歴史を有つた国とも思へないではないか!
さうかと思ふと、中野の場末あたりに、「日本屋」といふ看板を出した何かを売る小さな店がある。時節柄、人気を呼ぶつもりだらうが、素朴なるべき民衆の一人をして、臆面もなくかかる看板を出さしめるところに、時代の趣味の頽廃を見るのである。風潮も、ここまで来ると、風潮などとは云つてをられぬ。日本語の読める西洋人が、これらの看板を見て廻つたら、日本人はいよいよ気が狂つたと思ふかもしれぬ。が、そんなことは、どうせ無教育な愚民の仕業であると、われわれは平気な顔をするつもりでゐると大きな間違ひである。若し、われわれのうちの誰かに、知人某が店の屋号を附けてくれと頼んだ場合、なんの気なしに、どんな名前をつけるかしれたものではない。ちよつと洒落れた名だらうなど、鼻をうごめかしたら最期、われわれ自身、とんでもない悪趣味に陥るのが、現代日本の危なさである。
悪趣味はまた卑俗に通じる。凝りに凝つた悪趣味は、誰憚らずわれわれの周囲を横行してゐるのである。文明批評家も、経済学者も、社会運
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