私は寝とぼけてはゐないのである。大阪は実に大都会らしき華やかさと陰惨さとを、同時にあらゆるもののうちに兼ね備へ、大都会らしき落ち着きと慌しさとを、程よく織り交ぜ、大都会らしき新しさと旧さとを、巧に同じものの上に調合した又と類のない都市のやうに思はれた。
 東京には、どことなく「昨日」と「明日」とが対立してゐる。大阪には「今日」があるばかりである。それは生活そのままの相である。いや、誰がなんと云はうと、「今日」は生活の全部だ。そして生活は単色だ。
 大阪は、一つの大きな顔だ。瞬きをしない顔だ。鼻の孔を一ぱいにひろげた顔だ。

 阪神急行電車、西宮北口といふ停留場は、私に不思議な興味を感じさせた。先づ、あの線路の交錯は、西洋人が書いた片仮名である。そして、あの風車のやうなプラツトフオオム!

 T氏の案内で宝塚ホテルに宿を取つた。
 日光は南欧のやうに豊かだ。――私は、そこで、ふとピレネエの春を思ひ出した。
 ホテルのボオイが白足袋をはいてゐる。

 四階の窓は、爽かな展望をもつてゐる。
 殊にあの、河岸に沿ふて建てられた三つの劇場は、T氏の説明によつて、私の好奇心をそそつた。
 私の空想
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