と断言するのではありません。あれも理想に近いものではあるが、尚一層形の変つた、全く別種の色彩を持つた連載小説が生れる事も希望してゐます。それは例へば今僕の訳しつゝあるジユウル・ルナアルの『にんじん』のやうなものが新聞の連載ものに向かないわけはないと思ふのです。
 或は又、夏目漱石の『猫』のやうなものが、もう一度出てもよくはありますまいか。漱石で思ひ出しましたが、漱石の小説は新聞小説としてもなか/\周到な用意を払つてあるやうに思はれますが、あれが所謂大衆とまでは行かないまでも、意外に多くの愛読者を持つてゐたといふ事は、作品の内容が高級であるといふ障碍を乗り越えてその実質的なレベルが、この結果をもたらしたといふ、美事な実例だと思ひます。
 尚、新聞小説の反響とか評判とかいふことで気がついてゐるのは、この反響とか評判とかいふものが極めてあてにならないものだといふことです。仮に所謂社内の評判といふものがあります。又友人間の評判といふものがあります。更に又文壇の反響といふものがあります。それからも一つ読者の反響です。作者はこの色々な評判や反響を気にしながら、毎日苦しい仕事をつゞけて行くのですが、
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