に多種多様であつて、一口に言へば同じものがある読者にとつては非常に面白く、ある読者にとつては非常につまらないといふやうな結果が明瞭に、そして必然的に起つて来ると思ひます。で、さういふ色々な教養・趣味・思想の背景を持つた読者に一様に受け入られようといふ作品が、果して一人の作家の手で生れるかどうかといふことはまづ疑問としておいて、それでも尚且一つの新聞の連載小説を引受けた責任から言へば、自分の読者を少数の範囲に限るといふ事は絶対に出来ないことです。
それで、まづ一例を上げると、現在ジヤアナリズムの表面で、甚だ流行してゐるかの如き諸傾向は、実際我々の周囲の堅実な、少くとも自分の生活を持つてゐる家庭乃至個人からは、それほど関心を持たれてゐないにも拘らず、さういふものがとり入られなければ、新聞小説でないやうな偏見を一部の社会に植ゑつけた事は大変に遺憾だと思ひます。
誰でも引く例ですが、山本有三氏の「朝日」に書かれた小説などは、恐らくかういふ点で新聞そのもの、若い作者達、及び一般読者に甚だ好もしい反省を与へるものだと思ひます。然し僕はそれだからといつて、新聞小説とはかくの如きものをいふのである
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