なつてやるべきことだけはやらうといふ、その出発点にわれわれはあるのである。
 してみれば、翼賛会といふものは、今まで誰もやらなかつたこと、或は少くとも十分にはやれなかつたことを、こゝで、死力をつくしてできるやうに仕向けて行くことが第一の仕事である。
 文化の問題にしても、国家に文化政策といふものがないわけではない。学校を建て、博物館を作り、風致美についての関心も払ひ、社会事業には補助金を与へ、国民の体位の向上にも最近は非常な注意を向けてゐるのである。これことごとく文化政策ならざるはなしであるが、しかし、なんとなく、今日までの政治には所謂文化性が稀薄であつたといふ感じがする。これはなぜかと云へば、文化を奨励しなかつたとか、演劇や映画の検閲に確乎たる方針がなかつたとかいふことばかりではない。寧ろさういふことよりも、国民生活の実体を支配する政治力といふものが、文化の真の姿を反映する精神的高さに欠けるところがあつたためだと思はれる。精神的な高さとは、これまた、徒らに、精神主義を標榜することではなく、修身講話と大臣の声明とを混合することでもない。
 ところで、こんなことを、今更、われわれはなんと
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