かまはないくらゐのもので、その点、同人雑誌に近いのでありますが、なにしろ、今日の劇壇は、御承知の通り、文壇には絶縁状態であります。これがいいか悪いかは別として、文学の方なら、同人雑誌同士が知らん顔をし合つてゐても、文壇一般がこれに注意を向け、また、その中から優れたものを拾ひ上げることを怠りませんが、演劇の方面、殊に新劇の畑では、各雑誌によるグルウプ同士が、徒らに、揚足取りをしたり、軽蔑し合つたりしてゐては、誰を相手に物を云へばいいのでせう。私なども、時によると、自分に最も近い演劇雑誌に何か書かして貰ふ時、これを読んでくれるのは、その雑誌の同人諸君だけではないかと思ふことがあります。そしてまた、同時に、自分と関係の遠い演劇雑諺の中からは、常に自分の目指してゐる仕事が、全く今日の劇壇にとつてなんの意味もなさないやうな、あるよそよそしい空気を感じるのです。
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 勿論、作品や研究などでは、大に注意を惹くに足るものがあります。ところが、さういふ印象の告白は、わざとらしくてできないやうな障壁を、その雑誌の色彩のうちに感じるのです。
 これは実に困つたことであると思ひます。必
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