者の出現を待つてゐるのである。
 新劇運動の一考察――甚だとり止めもない議論に終つたが、何しろ稿を練る暇がない。
 終りに臨んで、新劇運動の一部とも見るべき外国劇の移入に関して、私見を述べておきたいと思ふ。
 元来外国劇はわれわれ演劇研究者にとつて、独逸人が露西亜劇に対し、又は英国人が独逸劇に対し、仏国人がスカンヂナヴィヤ劇に対し、それぞれ有つてゐるやうな興味、つまり外国劇としての興味以外に、彼等が一様に、その国の古典劇乃至は欧洲諸国の共有とも云ふべき、希臘より文芸復興期に至る古典劇に対して有つてゐる興味、それからもう一つは、彼等が同時代の自国作家に対する興味、この二つの興味をも併せ有つてゐるやうに思はれる。
 われわれは、なんと云つても、日本の作家からよりも、外国作家から多くのものを学んでゐる。(受け継いでゐるとは云はない)それと同時に、現在日本に生れつつある作品にやや失望して、外国の作品により多くの期待と感興とを有つてゐることは事実である。
 これは勿論過渡期の一現象であらうが、さういふ場合であるから、われわれが若し、外国劇をわれわれの舞台に上演しようと思へば、以上述べたやうな興味
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