ものをかう見てゐる。即ち、一つは、歌舞伎劇流の類型的心理乃至生活を近代人の敏感さと繊細さを以て描き出さうとするもの、一つは、近代精神の一面を歌舞伎劇的な冗漫極まる叙述に託さうとするもの。そして、この二つの型は、それぞれ、ある程度まで芸術的に認められるべき作品を生んではゐるが、これを以て、新日本劇の根本的樹立と目することはどうしてもできない。殊に、同時に、この両者に欠けてゐるものは、近代生活の中に含まれる特殊な戯曲的雰囲気の把握である。近代人の鋭敏な感覚に訴へる戯曲美の創造である。
現代の教養ある観衆は、思想の中に常識以上のものを求めてゐる。感動の中に経験以上のものを求めてゐる。作者の「物の観方」と、自分の「物の観方」とを比較することを知つてゐる。これらの演劇は、畢竟、これらの観衆を満足させなければならない。常識といひ経験といひ、既に在るものを指すのである。如何に深遠なる思想も、一人がこれを説けば既に常識である。どんなに激しい感動も、実生活の中から何人も受け得る感動は、すべて経験である。芸術は、この思想、この感動から、一歩抜け出たものでなければならない。演劇のみは、この点で他の姉妹芸術
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