つた柱があり、こつちは、柱を削る道具さへも用意してゐない。家を建てる話に譬へたつもりである。
わが「新劇」は、かくて、その自然の成長をさへ拒まれてゐる。没落階級が「芸術」を見捨てたからだといふ説もあるが、「成長」といふ言葉を、そんなことに関係のない意味で私は使つてゐる。
新劇は、そのスタアトを誤つたばかりでなく、その「軽薄さ」が、心ある、従つて頭のある協力者をその「陣営」の中に引入れ得なかつたからである。
芸術が成長するといふことは、必ずしも、それで食へるやうになるといふことではない。しかしながら、健全に成長したもののうちからは、信用ある「商品」が生れることも亦事実なのだ。
「新劇」は、遅蒔きながら、栄養不良の結果を省みて、体質の鍛へ直しをしなければならぬ。
「新劇」が本質的に「新しい日本現代劇」たり得るためには、
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一、日本現代の情勢に鑑み、演劇芸術の文化的意義について再考すること。
一、作者は固より、演出家、俳優をも含めて、一般新劇関係者は、先づ、今日の商業演劇に対して絶縁状を叩きつけること。
一、特に俳優は、その修業方法について、従
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