はり「新劇」で通用するらしい。
が、大体からいつて、自他共に許すところの「新劇」なるものは、「旧劇」即ち歌舞伎といふわが国伝来の演劇に対抗し、「新たに」西洋劇の伝統から、形式内容ともに今日の文化に即した劇的表現を学ばうとした、一つの発生期にある芝居なのである。
歌舞伎芸術がそれ自身明治開化の風潮に融合できなかつた結果、その伝統が分れて新派劇を形づくつたやうに、西洋演劇の伝統も亦、民族的な障碍と、研究不徹底のために、その本質は、久しく秘められて、遂に形体の模倣に止まつた観があり、そして、その空白は、知らず識らず、歌舞伎乃至新派の伝統によつてこれを充たすより外なかつたのである。それゆゑ、今日の「新劇」は、厳密にいへば、歌舞伎乃至新派より全く独立したものではなく、まして、西洋劇の精髄を取り容れたものでもなく、いはば、両方の「つまらぬところ」ばかり拾つたやうなものなのである。誰もさうは思つてゐないが、冷静に考へてみるとさうだ。「新劇俳優」が上手になると「新派臭く」なるのはそのためだといつていい。
それでも、「新劇」が今日目指してゐるものは、築地小劇場の宣言を藉りるまでもなく、歌舞伎に非ず
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