るものである。つまり、目標が曖昧なことで団結力が鈍ること、個人個人の努力が全体として酬いられないこと、経済的には消極政策が唯一の安全な道であること等、劇団としての発展を阻害する理由がいくらでも挙げられるのである。
しかしながら、俳優としても、作家としても、この分野に於ては個人的な素質といふ点では決して人材に乏しくはないのである。しかも、それらの人々は、将来、協力する舞台といふものがなければ、それ/″\の力量を発揮し、倶に伸び育つ機会がまつたくないと云つていゝ状態であるから、これは今のうちになんとかせねばならぬといふので、去年の六月あたりから、有志のものが集まつて寄り寄り協議を進めつゝあつたのが、例の「文学座」の創立となつたのである。
ところが、この「文学座」こそまだ陽の目を見ぬうちから思ひがけぬ幾多の障碍にぶつかり文字通り生みの悩みを味はつた。それは、云ふまでもなく、結成と同時に、今度の事変、相次いで、有力な座員の一人友田恭助君の出征、間もなく、その戦死である。われ/\は、しかし、敢然と第一回の公演を計画した。ところが、友田君の遺骨が着かぬうちはといふので、田村秋子夫人は出演を肯ん
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