しく拡大されるものと私は信じて疑はないのである。これは、日本文化のために、同時に国民大衆のために、われ/\の切に望むところである。
 このことは同時に、新協劇団のどこか思はせぶりな理論癖と反抗意識についても云へることである。そこに新時代的な気魄が見えないことはないが、たゞ徒らに悲壮な身構へをするひとつの好みは、伝統的なものであるやうに感じられる。不必要に警戒を与へる原因がそこにあるのだとしたら、劇団の将来のために一考すべきであらう。
 たゞ、最後に付け加へておきたいことは、この劇団が、新築地劇団と共に、その人的要素と組織活動の上で、頗る「男性的」な面貌を呈し、時局柄、運動の目標と、座員の歩調次第では、新劇界における有力な役割を果し得る条件に恵まれてゐるといふことである。

 次に、新劇に於ける左翼的ならざる分野の活動はどうかと云へば、一昨年、築地座の解散以来、二三の代表的な劇団が相次いで瓦解し、表面的にはまつたく存在を忘れられた形であつた。
 かゝる運命に陥つた原因については、種々見方もあるであらうが、要するに、「純芸術的」といふやうな立場は劇団としては実際に意味をなさないことを証明す
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