念の露出を強ひるのである。
 演劇を文学から離脱せしめることを以て能事終れりとする一部の論者が、この恐るべき結果を予想しなかつたことは寧ろ当然であるが、この結果は、私をして云はせれば、新しい戯曲の生産をも、間接に萎靡せしめたと信ずる理由がある。
 将来、若し、日本の新劇が、この殻を破つて立ち直る時機があるとすれば、それはいふまでもなく、俳優術の革命からである。一人の天才が現はれてもよし、一群の真摯な努力に俟つてもよし、何れにせよ、われわれの時代、われわれの生活が生み出した自由濶達な舞台表現は、俳優それぞれの天分に応じて、その緻密な観察と、豊富な想像から組立てられなければならぬ。少くとも、さういふ能力を有する俳優でなければ、演出者は演出の工夫が酬いられず、作者は、作品を托するわけに行かぬであらう。(一九三二・八)



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第一巻第六号」
   1932(昭和7)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007
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