新劇の危機
岸田國士

 震災後擡頭した新劇運動の目覚ましい機運は、私の観るところ、あまり順調な進み方をしてゐないやうに思はれる。それは「続いてはゐるが、進んでゐない」といふことである。
 なるほど、僅か二三年にこれほど眼に見えた進み方をするわけがないといへばいへるであらうが、それなら、「進まうとする」気配さへ見えないのはどうしたものか。
 私は、新劇の舞台的完成が、必ず確固たる経済的基礎の上に築かれなければならないといふ議論に与することはできない。また、ある種の人々の熱意からのみ生れるものだとも信じてゐない。まして戯曲の内容や、監督術の傾向が舞台を左右するとは夢にも思つてゐない。
 私はただ、一時代の文運が、一人の天才作家の出現によつて華々しい光輝を齎す如く、現代日本の新劇は、一人の――と云へば語弊もあらうが――少くともいくたりかの俳優、真に俳優らしき俳優の誕生によつて、殆ど決定的に「新しい魅力」を発揮するだらうと思つてゐる。
 ところが、俳優に必要なものは才能だけではなく、才能を生かす「器具」である。彼等が、「俳優としての修業」に於て誤つた道を踏んだなら、その才能は空しく涸渇してし
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング