処では「辛ふじて観てゐられる」やうな芝居ばかりを、あまり長く観せておきすぎた。これが、好意ある見物を次第に失つて行つた最大の原因である。
 なぜさういふ結果になつたか、いふまでもなく、当事者は、ただ、限りある「出し物」と「演出法」との工夫に没頭して、無限の変化と向上とを期し得る俳優の技倆について、不思議なくらゐ楽観的であり、少くとも、(どうかしよう)といふ意志の実行を怠つてゐたやうに思はれる。勿論、優れた俳優を探し求めはする。全くそれを顧みなかつた例は知らないが、その探し求める手段は外部的であり、一時的であり、行きあたりばつたり式であり、「あれはなかなかよささうだ。一つ引つ張つて来い」式である。そして一度、何々劇団の何某たる地位を占むるや、あとは、宣伝を以て能事終れりとし、「有名」になるほど、「下手」になるのを常とする。おまけに、その何某の脱退によつて、何々劇団は不具者となるのである。

 私は、先年、わが劇壇の快事たる築地小劇場の旗揚げに際し、聊か卑見を述べて、俳優養成の急務たることを説き、爾後、機会ある毎に、この点に触れたつもりであるが、最近、同劇場文芸部の北村喜八氏が、恐らく、私の意見と関係なくではあらうが、俳優学校の創設を提唱し、鋭意、その機運の促進に努力してをられるのを見て、衷心、悦んでゐる次第である。
 私も、今後、同氏の驥尾に附して、この問題を研究して見たいと思ふ。

 さし当り、今度、文芸春秋社が、新劇協会を経営することになり、畑中蓼坡、伊沢蘭奢の諸氏を中心に、一層充実した劇団を作る計画を発表したが、私も先輩友人諸君の勧誘もだし難く、一部分の仕事を担任することを承諾した。それについて、私の第一に持ち出した意見は、現在の俳優を以て、如何なる組織の劇団を作らうと、それで、「今までのものより優れたもの」を見せることは恐らく不可能である。劇場との契約その他の事情で、今すぐに公演することを余儀なくされるにしても、その事業は、総て、近き将来に於ける俳優養成機関の樹立に役立たなくてはならない。この問題を除外して、今われわれが「舞台の仕事」にたづさはることは、殆ど無意味である――といふことであつた。
 実際私は、自分の健康が許すやうになれば、具体的の案を提げて演劇学校創設の運動に着手するつもりである。
 その演劇学校は、俳優のみならず、演劇に関する諸種の部門を専門的
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