心理の洞察
――政治に求めるもの――
岸田國士
国民は当面の事態をもはやはつきり知つてゐる。最も大きな苦難が眼の前に迫つてゐることを自覚し、この苦難を切り抜けることが勝利の第一歩であることを、誰に云はれなくても肝に銘じてゐる。敵はやゝ図に乗つてゐるやうだがその弱点もほゞ察せられ、われは今、地の利に於て若干の失ふところはあつたが、敵の恃みとするいはゆる機械力、物量に対抗すべきわが民族の叡知を十分信じ、一人一人はまさに、国の活路を己れの死所として選ぶことを待ち望んでゐるのである。
国民の眼は悉く惨烈な孤島の戦場に注がれてゐるにもせよ、その耳は、絶えず何を聴かうとしてゐるか? 為政者の声である。責任ある当局の言明である。それは自ら道を迷はざらんがためでもあるが同時にまた、国政の運用が何よりも臣子としての重大関心事たらざるを得ないからである。
狭い意味の政治、即ち、政府の施策は、その施策の原因たり結果たる万般の事象を含めて、今や国力乃至戦力としての実質と見なさるべきものである。
軍事並に経済の面はしばらくおき、私がこゝで特に現在の政治に求めるものは、一にも二にも国民心理の把握といふことである。
国民の忠誠心のみはたしかに政治の拠りどころとなつてゐるけれども、それは国民の素質であつて、心理ではない。もつともつと「意気揚々として」国民悉くが政治について行けるやうにしてほしいものである。
そのためには、国民の我儘勝手に耳を藉さず、真に、ひそかに為政者に期待するところを、深く、早く見抜いて、そこに政治の高邁なすがたを示さなければならぬ。
嘗て私は政治に文化性を与へよなどと説いたことがある。その意味は、人間の本性に基くおのづからな理想追及のすがたに、無関心であるか、或は無関心を装ふのが為政者の常だつたからである。そして、そのことには、概ね、逆なやうであるが、現実を正視し、これを適確にとらへる勇気と明察とを欠いでゐるのではないかと疑はせるやうな現象が付随する。政治には先づ説得力をと、私は云ひかへよう。
国民の戦意は、今こそ大に燃え立たねばならぬ。敵愾心は敵に向つて燃やすべきであり、味方同士がそれを口にし合つて満足すべきものではない。「敵愾心を振ひ起せ」などと、尤もなやうで無理な註文を繰返す代りに、国民の当然抱いてゐる敵愾心を、あくまでも正当化し、熾烈化する論拠と材料と
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