を次ぎ次ぎに、余計な文句をつけずに示してほしい。敵である以上当然やるであらうやうなことを怪しからんなどといきり立つ必要は毛頭ない。米英ならではやらぬやうな老獪とガサツとの正体を整然と暴き、倶に天を戴かざる敵なることをとつくりと事実に即して語つてほしい。
更に、敵の機械力乃至物量の問題であるが、前にも述べた通り、これと対抗すべきは、わが民族の霊妙な知能のはたらき以外のものではない。こゝは、国民の士気に関係する大事なところである。「今次の戦は、道義と機械との戦である」といふやうな論法で必勝の信念を鼓吹することは、戦意昂揚のために、現在では却て危険である。一見聖戦の意義を明快に伝へた如くであつて、実は、比喩にしても、表現に隙がある。考へ方が足りない。真の道義は絶対、かつ、永遠の勝利者であつて、道義そのものは肉体が滅んでもなほかつ厳然として存し、その意味では、機械との力くらべにはならず、時として、現実の戦での局部的勝敗と関係はないと考へるのが普通である。機械の猛威を封じ、物量の優勢を挫くものは、仮に精神力といふ面から見ても、勇気だけではなく、それはより以上優秀な機械の創案及び利用を含み、かつ、一層根本的には、破毀と抵抗の巨大な夢を織り込んだ秘策善謀であつて、その力の源泉は、国民知能の結集、及びその最高水準の遺憾なき活用である。個人としてはもとより、国としても、道義はその推進たり、裏づけたるに止まること、そして月並な言葉で道義を説くことはこの際最も容易な業である所以をはつきりさせたい。
わが民族の鋭く豊かな知恵を、為政者の刻々の表情のなかに、満々たる自信をもつて読みとることだけを、今国民は、ひたすら希つてゐるのである。
底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「東京新聞」
1944(昭和19)年7月22日
初出:「東京新聞」
1944(昭和19)年7月22日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
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