文してくれ。
男優B 最近、ほかの女から来た手紙でも持つてるか。
男優A 生憎《あいにく》持つてる。持つてるが、そんなものが証拠になるかね。同時に幾人もの女を持つてるといふ例もあるしね。
男優B 女房の名前を云つてみろ。
男優A 僕のかね?
男優B いゝや、おれのさ。
男優A そいつを訊《き》いとくのを忘れた。僕は、あんまり、女の名前なんかに興味はないんでね。貞子さん……それとも、操さん……違ふね。郁子さん、すま子さん、芳江さん、ゑみ子さん、加代子さん、とし子さん、れい子さん。……どうだね、まだかね、弥生さん、君子さん、常子さん……。
男優B それだ。
男優A これか、常子さん……。
男優B わざと知らん振りなんかするな。
男優A 常子さんか、覚えとかう。
男優B おい、飯沼、頼むからほんとのことを云つてくれ。
男優A おれの云ふことがほんたうかどうか、誰がそれを判断するんだい。
男優B おれが判断する。
男優A その頭で判断はむつかしからう。まあ、今夜ゆつくり考へてからにしろ。おれは逃げも隠れもしない。おれの今ゐる家は君の細君が知つてるよ。
男優B 何がなんだかわからん。おれは、急用ができて、今大阪から帰つて来たんだが、さういふ時、家に子供がゐないと、がつかりするんだ。すぐに顔を見ないと、起《た》つても坐つてもゐられない。日比谷と聞いて飛んで来た。すると、女房の奴が、こんなところで……。
男優A 男と媾曳《あひびき》の最中……。
男優B 黙れ。おれに何をする勇気もないと思つてるんだな。
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この時、女優C′[#「C′」は縦中横]が登場し、そつと二人の後ろに廻り、男優Bの頭を抱くやうにして、両手で眼かくしをする。
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男優B (虚をつかれ)だあれ?
男優A ぢや、僕はこれで失敬しよう。(起ち上る)
女優C′[#「C′」は縦中横] (驚いて)いやな人! そつちにゐたの。後ろ向きだつたから間違へたのよ。そんなに怒らないだつていゝぢやないの。随分待つた?
男優A なに? 僕が君を待つてたつて云ふのかい。冗談云つちやいけないよ。君は一体、なんだい。女には違ひないが、何をする女だい?
女優C′[#「C′」は縦中横] あら、なにをする女は御挨拶ね。ぢや、人違ひかしら……? あたし、この頃、どうかしてるのよ。(男優Bに向ひ)あなた、あたしを待つててくれたんでせう。
男優B うん? あゝ、さうとも……まあ、掛け給へ。誰かと思つたら、君か。さつきから、どうも君ぢやないかと思つてたんだ。久し振りだね。手紙ついた?
女優C′[#「C′」は縦中横] なに云つてるの。昨日《きのふ》会つたばかりで、久し振りだとか、手紙ついたかとか、いやだわ。あたし、たうとう、あの家《うち》出ちやつたの。
男優B あゝ、さう……出ちやつたの。それやよかつた。
女優C′[#「C′」は縦中横] よかないわよ。今日から浪人よ。どうかして頂戴よ。
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男優A、その辺を歩きまはつてゐたが、やがて
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男優A ぢや。菱刈、また会はう。失敬。
男優B (何事もなかつたやうに)やあ、失敬。
女優C′[#「C′」は縦中横] やあ、失敬、お気の毒さま。
男優B (Aの立ち去るのを見送つた後)こゝもなかなか暑いね。
女優C′[#「C′」は縦中横] 夏だわね。冬と夏とどつちがいゝかしら……。
男優B 君は……?
女優C′[#「C′」は縦中横] どうしたの?
男優B 僕、会つたことあるかしら?
女優C′[#「C′」は縦中横] ないわよ。
男優B ないね。
女優C′[#「C′」は縦中横] すると、どういふことになるの。
男優B 僕は、少し疲れてるんだ。
女優C′[#「C′」は縦中横] あたしも疲れてるわ。
男優B 真似《まね》をするのはよし給へ。
女優C′[#「C′」は縦中横] 帰つて寝ようつと……。
男優B 誰とね。
女優C′[#「C′」は縦中横] 余計なお世話よ。その台詞《せりふ》、なんかにあつたわよ。
男優B (起ち上り)あゝ、草臥《くたび》れた……。
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伸びをしながら、男優B退場。
男優C、三脚を持つて登場。やがて、画家が写生をする恰好で、切《しき》りに右手を動かしはじめる。
女優C′[#「C′」は縦中横]は、はじめなんのことかわからず、もじもじしてゐるが、遂に、画かきの周囲をぐるぐる廻りはじめる。
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男優C ちよつと、君、そんなとこをうろうろしないでくれ給へ。邪魔になるから……。
女優C′[#「C′」は縦中横] だつて、こゝは誰が歩いたつていゝとこでせう。
男優C 歩くところはほかにいくらだつてあるだらう。僕がなにをしてるかわからないのか。
女優C′[#「C′」は縦中横] ふん、それで絵を描いてるつもりなんでせう。よく恥しくないわね。
男優C (黙つてゐる)
女優C′[#「C′」は縦中横] (ベンチに腰をおろし)あゝあ、どうしてかう、誰もかれも焦《い》ら焦《い》らしてるんだらう。人に食つてかゝりさへすれや、運が向いて来るとでも思つてるのかしら……。
男優C (カンヴァスを遠くから眼を細めて眺める恰好をし)人物にはだんだん興味がなくなつて来た。
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長い沈黙。
男優A、咳払ひをする。女優B′[#「B′」は縦中横]登場。
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女優B′[#「B′」は縦中横] (女優C′[#「C′」は縦中横]に向ひ)飯沼さんつて方《かた》にはもうお会ひしたの? なんておつしやつたい? まさかあんたの註文通りには行かなかつたらう。
女優C′[#「C′」は縦中横] (しばらく考へて、急に、しくしく泣き出す)
女優B′[#「B′」は縦中横] 泣いてちやわからないわ。兎に角、あんたの気持を伝へたことは伝へたんでせう。うまく云へて? ねえ、静ちやん、姉さん、気が気ぢやないのよ。
女優C′[#「C′」は縦中横] あたし……あたし……もう駄目だわ……諦めるわ……。
女優B′[#「B′」は縦中横] 感じないのね? それとも、なんか理由があつて、世話は出来ないつていふの。どつちなのよ。
女優C′[#「C′」は縦中横] それがね、あたしの顔を見ると、いきなり、かう云ふのよ――「君は誰だい。会つたこともない僕に何の用があるんだい」つて……。誰か都合の悪《わる》い人がそばにゐたからなのよ。
女優B′[#「B′」は縦中横] 面倒臭い男ね。そんならどう、静ちやん、あんた、いつそ結婚しちまはない?
女優C′[#「C′」は縦中横] あの人と?
女優B′[#「B′」は縦中横] 誰とでも……。姉さんに委《まか》しなさいよ。あんた、男らしい男が好きなんでせう。
女優C′[#「C′」は縦中横] (うなづく)
女優B′[#「B′」は縦中横] 風采なんか、まあ、どうだつていゝわね。
女優C′[#「C′」は縦中横] (考へる)
女優B′[#「B′」は縦中横] 一人、心当りがあるの。
女優C′[#「C′」は縦中横] (B′[#「B′」は縦中横]の顔を見る)
女優B′[#「B′」は縦中横] それが画かきさんなのよ。
女優C′[#「C′」は縦中横] (眼をみはる)
女優B′[#「B′」は縦中横] (C′[#「C′」は縦中横]の耳もとに口を寄せ)そら、そこで絵を描いてる人……。黙つてらつしやい。上手だか下手《へた》だか知らないけど、あの一所懸命な恰好をごらんなさい。真剣味があるぢやないの。男はあれでなくつちや駄目よ。
女優C′[#「C′」は縦中横] ぢや、話を進めてみて頂戴よ。
女優B′[#「B′」は縦中横] (つかつかと男優Cのそばに進み寄り)あの、失礼でございますけれど、ちよつとお伺ひいたします。実は……。
男優C なんですか。
女優B′[#「B′」は縦中横] あの、先生はお弟子さんをおとりになりませんのでせうか。
男優C 僕はまだ修業中ですから、弟子なんか……。
女優B′[#「B′」は縦中横] いゝえ、どういたしまして……それだけ立派なものがおできになれば、帝展でも院展でもわけなくお通りになりますわ。わたくし、一人妹がをりますんですけれど、子供の時分から絵が好きで……あんなに恥かしがつてますわ。それやもう、わたくしの口から申すのも変ですけれど、ちやんとした先生にお仕込み願つたら、きつと物になるだらうと思ひまして……はあ。つきましては、これと云つて、先生方にお近づきもございませんし、今日、幸ひかうしてお仕事を拝見させていたゞきましたのも、何かのお引合せかと存じますので、はあ、是非、ひとつ、わたくしどものお願ひを、お聴き入れ下さいませ。妹は、あゝ見えて、まだ十九なんでございます。先生もまだお若くつていらつしやいますわね。
男優C 僕、二十六です。
女優B′[#「B′」は縦中横] あら、丁度よろしうございますわ。(女優C′[#「C′」は縦中横]に向ひ)ちよつと、静ちやん、こゝへいらつしやい。先生にお引合せしとくから……(女優C′[#「C′」は縦中横]と男優Cとが、今更らしく会釈を交す)いゝわね、静ちやん……なんでも先生のおつしやる通りにするんですよ。
女優C′[#「C′」は縦中横] えゝ。
女優B′[#「B′」は縦中横] 先生はまだお一人でいらつしやるんだらうから、身の廻りのお世話なんか、よく気を配《くば》つてね。
女優C′[#「C′」は縦中横] えゝ。
女優B′[#「B′」は縦中横] (男優Cのシャツを指し)このおシャツなんかも、明日お天気だつたら洗濯をして差上げなさい。
女優C′[#「C′」は縦中横] えゝ、わかつてるわよ。
女優B′[#「B′」は縦中横] では、まあ、どうかよろしく……。お話が後先《あとさき》になりましたが、先生、お住居《すまひ》はどちらでいらつしやいます?
男優C 別にきまつてをらんです。
女優B′[#「B′」は縦中横] と申しますと……。
男優C 友達のところをぐるぐる泊つて歩いとるんです。
女優B′[#「B′」は縦中横] それはそれは……。ねえ、静ちやん、そこはなんとか後で御相談なさいよ。では、あたくし、ちよつと買物がございますんで……。何《いづ》れまた更めて御挨拶に……。
男優C さうですか。
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女優B′[#「B′」は縦中横]退場。
女優C′[#「C′」は縦中横]、男優Cの方をそつと見て、笑ひかける。
男優C、突然、呻き声を立てて、その場に倒れる。
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女優C′[#「C′」は縦中横] (駈け寄り)あらあら、どうしたつていふんだらう。病気なのか知ら……。ねえ、どこか悪《わる》いんですか。おや、もう死んでるわ。
男優C 死んでやしない。
女優C′[#「C′」は縦中横] 生きてるわ。
男優C 苦しいんだ。
女優C′[#「C′」は縦中横] ぢや、待つてらつしやい。今お医者を呼んで来てあげるから……。
男優C お医者ぢやなほらない。
女優C′[#「C′」は縦中横] あたしならなほせる?
男優C 君の姉さんでなけや駄目だ。
女優C′[#「C′」は縦中横] あゝら、呆《あき》れた人ね、あんたは……。(男優Cの腰を蹴つ飛ばして退場しようとする)
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男優D、洋刀を提げて登場。
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男優D その女、待てツ!
男優C (絶え入るやうな呻き声。やがて、ぐつたりとなつてしまふ)
男優D (女優C′[#
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