職業(教訓劇)
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)卓子《テーブル》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)椅子|卓子《テーブル》など

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)清々《すが/\》しい
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ある新劇団の稽古場。

正面に黒の無地幕。部屋の中央に一脚のベンチ。ほかの家具類は悉く片隅に寄せてある。そこには、椅子|卓子《テーブル》などの外に、若干の小道具――乳母車、バケツ、洋刀、パラソル、三脚、毛布などが纏めて置いてある。右手に柱時計。

数名の男女俳優(又は研究生)が、思ひ思ひの姿勢で雑談を交してゐる。
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男優B  本を読むと、どんなもんでもみんな台詞《せりふ》にしたくなるね。
女優B′[#「B′」は縦中横]  役者になりたてはそんなもんよ。
男優B  ぢや、君もおつつけ、さうなる組だ。
男優C  僕は、一昨日《をとゝひ》の晩、あれ見に行つたよ。
女優C′[#「C′」は縦中横]  十人座でせう。どこか新鮮なところがありやしない。
男優B  新鮮でも未熟な果物《くだもの》は腹をこはす。
女優C′[#「C′」は縦中横]  あたしは、新劇を見ると頭痛がするの。
男優B  さういふ症状もある。
女優B′[#「B′」は縦中横]  (台詞の調子で)……「あたし、誰かと騒ぎたいな。新しい着物を着たせゐかも知れないわ。ねえ、なんかして遊びませうよ。あんた、村へ行かうておつしやつたわね。行きませうよ。行きたいわ、あたし……舟へ乗りませうね。草の上でお弁当をたべたり、森の中を歩いたり……。今夜は月がいゝかしら……。あら、変ね、あたしのあげた指環、はめてらつしやらないの……」
男優D  「なくしちやつた」
女優B′[#「B′」は縦中横]  「だから、あたしが拾つたの」
男優C  演《だ》し物はまあ、あれでいゝさ。たゞこつちで練習用に使つてるとも知らずに、のめのめと舞台へ掛けたもんだから、可哀さうに、あら[#「あら」に傍点]が丸見えだ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  稽古不足なのね。
男優B  あの稽古ならいくらやつてもおんなじさ。
男優C  芝居をしてる本人たち、あれで面白いのかしら……。
男優D  子供は玩具《おもちや》をやらなくつても遊ぶもんだ。
女優B′[#「B′」は縦中横]  (また台詞の口調で)……「おゝ、神様、なぜあなたは、真実そのものに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]をおつかせになるのです……」
女優C′[#「C′」は縦中横]  ……「どうぞ、そんなお話はおやめ下さいまし。それよりも、お天気のお話を、花のお話を、あなた様のお髪《ぐし》やわたくしの帽子の話をいたしませう……」
男優E  (次の部屋からはひつて来て)「さうだ、なんでもお前の好きなものの話をしよう。わしが生命《いのち》よりもいとしく思ふその清々《すが/\》しい微笑《ほゝゑみ》を消さずに、お前の唇のうへを通るものなら、それこそ、どんな話でも聴かう……」
女優D′[#「D′」は縦中横]  まづいなあ。

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この時、別の入口から、男優Aがはひつて来る。一同起ち上つて会釈する。
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男優A  今日の科目は即興劇……これで、今学期は終りだから、少しむつかしい問題を出す。今迄やつた即興劇は、大体筋書をきめ、役もいちいち振り当ててやつたんだが、今日は、筋書もないし役割もその場で自分が作るやうにするんだ。つまり、めいめいが勝手に「ある人物」になる。そしてお互ひに協力して筋を仕組んで行く。これは一定の目標がないだけに、各人の想像力を存分に発揮できるが、また一方、脈絡を失ふ恐れがある。そこは、できるだけ当意即妙の精神を働かして、ひと通り辻褄を合せるやうに注意しなけれやならん。
 便宜上、二三、規定を作つておく。
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一、一人の人物は少くとも五分間舞台にあるべきこと。特別の場合を除き、十分間以上舞台に止《とゞま》るべからず。
二、ある人物が登場する時機は、それぞれ自由なるも、故意に舞台を混《ま》ぜ返すやうな出方は慎むべきこと。
三、必要に応じ、次の人物の登場を促すことあるべし。その合図として、余は咳払ひをなす。
四、時間は凡そ三十分。幕開き幕切れは、いつもの通り、自分が手を叩く。新井君がまだ来てないね。ぢや始める。登場の順は、男がABC順、女はその逆順……。
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男優B  ちよつと、その時間の範囲内なら二度出てもかまひませんか。
男優A  むろんよろしい。その代り責任が大きくなるよ。(一同私語す)静かに……。(手を叩く)

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みんなが尻ごみしてゐるので、男優A自ら進み出る。
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男優A  (腕時計を見ながら)遅いなあ。何を愚図々々《ぐづ/\》してるんだ。相談があるといふからわざわざ出かけて来たんだ。おれの方から呼び出したんぢやない。日曜日午後二時、日比谷公園の池の縁のベンチなんてまるで二十年前の小説ぢやないか。(腰をおろす)
女優D′[#「D′」は縦中横]  (乳母車を押して登場)あゝ、暑い暑い。坊や、まだねんねしないの。母《かあ》さんはもう草臥《くたび》れちやつたよ。どら、この辺でちよつと休ましておくれ。そうら、噴水が見えるでせう。
男優A  まあ、こゝへお掛けなさい。お丈夫さうなお子さんですね。
女優D′[#「D′」は縦中横]  いゝえ、もう、弱虫で困りますの。毎日外の空気を吸はせたらつてお医者様がおつしやいますんですけれど、此処まで参りますのに、あたくしが一《ひと》苦労なんですの。此処まで参りませんと、空気らしい空気がございませんし……。
男優A  なるほど。お宅は、そんなに御遠方ぢやないんでせう。
女優D′[#「D′」は縦中横]  桜田本郷町でございます。
男優A  僕の友人が一人桜田本郷町にゐるんですが、まだ訪《たづ》ねたことはありません。なんでも、やはり、これくらゐの第二世がゐる筈です。さう云へば……失礼ですが……お宅の御主人は……。
女優D′[#「D′」は縦中横]  あの、商売の方でございますか。
男優A  えゝ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  あの……西洋家具をやつてをりますんです。
男優A  菱刈さんとおつしやるんでせう。
女優D′[#「D′」は縦中横]  菱刈……信行と申します。あら、どうして、それを御存じでらつしやいますの。
男優A  不思議でせう。さつき僕の友人が桜田本郷町にゐると云つたのは、その菱刈君のことですよ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  でも、それがどうして……。
男優A  この坊つちやんを一目《ひとめ》見ればわかります。
女優D′[#「D′」は縦中横]  これで、女の子なんでございます。
男優A  女の子は男親に似るもんです。僕はもう五六年菱刈君と会ふ機会がないんですが、相変らず元気ですか。
女優D′[#「D′」は縦中横]  はあ、お蔭さまで……相変らず瘠せてはをりますけれど……。
男優A  そんなに瘠せてましたかねえ。僕より瘠せてますか。丈《せい》は高い方《はう》でしたね。
女優D′[#「D′」は縦中横]  普段こゞんでをりますけれど、ちやんと計れば五尺五寸たつぷりございます。
男優A  さうでせう。あゝ、僕は飯沼です。名前は多分御存じだと思ひますが……。
女優D′[#「D′」は縦中横]  あゝ、あの飯沼さんでいらつしやいますか。そんならもう、絶えず主人から、……あら、どうしませう……あたくし、こんな扮《なり》をして……。
男優A  結構です。菱刈君が美しい細君を貰はれたといふ話も聞いてはゐたんですが、いや、こつちこそ。どうも失礼しました。
女優D′[#「D′」は縦中横]  こんなこと申上げていゝかどうか存じませんけれど、なにしろ、かういふ時節柄でございませう。あれこれ工面をしなけれやならないと見えて、主人は昨晩も大阪の方へ参りましたんです。全く、商売なんて心細いもんでございますわね。
男優A  心細いのは御同様です。菱刈君は、しかし、何をやらしても大丈夫な男ですよ。僕は、さう思つてます。機を見る明と云ひますか、昔から先生は、眼のつけどころが違つてましたね。
女優D′[#「D′」は縦中横]  おやおや、あの人が自分で少し、さういふ自信でも持つててくれるといゝんですわ。あら、坊や、何をお口へいれたの……。いやしいことしちや駄目ですよ。さ、そろそろお家へ帰りませう。狭いところでございますけれど、ちつとお遊びにいらしつて下さいませ。
男優A  そのうちに是非……あ、奥さん、名刺をあげておきませう。今ゐるところです。はい、嬢ちやん、あんた持つてらつしやい。食べちやいけませんよ。

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女優D′[#「D′」は縦中横]会釈して去らうとするところへ、男優Bが登場。
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[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
男優B  (女優に向ひ)なんだ、お前そんなところにゐたのか。(男優Aに)おや、君は飯沼君ぢやないか。
女優D′[#「D′」は縦中横]  それがね、あなた……。
男優A  僕が此処で人を待つてると、一人の婦人が、可愛い赤ん坊を乳母車に乗せて、偶然前を通りかゝつたんだ。君の細君だと知つて僕は全く驚いたよ。
男優B  さうだらう。偶然なら偶然としておかう。君はこの女に何か用事があるのかね。
男優A  君の細君と知つたから、話をしたまでだ。それが悪《わる》いとでも云ふのかね?
男優B  馬鹿野郎! 飽くまで人を侮辱する気だな。こいつの顔におれの女房だつていふ貼札でもしてあつたか。やい、貴様たちは何時《いつ》からこんなところで会つてるんだ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  随分ひどいことおつしやるのね、あなた。今日はじめてお目にかゝつたんぢやありませんか。
男優B  お前は黙《だま》つて家へ帰れ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  いゝえ、帰りません。飯沼さんが御迷惑ぢやありませんか。
男優B  それみろ、もうこの男を庇ふ気でゐやがる。よしよし、おれが飛行機で帰つたのは、これこそ天の配剤だ。お前にはもう用はない。早く帰つて、からだの始末を考へろ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  そんなこと云つて、後で後悔しないでせうね。
男優B  後悔したらしたで、またそん時の話だ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  (立ち去りながら)知りませんよ。あたしは、今日限り家を出て行きますから。ねえ、坊や……これから母さんと二人で、もつともつと楽しく暮しませうね。
男優A  (後を見送つた後)さあ、男同志の話だ。冷静に解決をつけようぢやないか。文句があるなら云つてみろ。
男優B  貴様は、おれの女房と知つて、それをこんなことにしてしまつたんだな。
男優A  想像に任《まか》せる。
男優B  此処以外の場所で会つたことがあるか。
男優A  それも推察に任せる。
男優B  卑怯だぞ。はつきり返事をしろ。
男優A  ぢや、こつちから訊《たづ》ねるがね。君は、どういふ証拠をつかまへて、そんな詰問をするんだね?
男優B  証拠がなけれやいかんと云ふのか。そんなら、そつちこそ、さうでないといふ証拠をみせろ。
男優A  お安い御用だ。一番たしかな証拠と云へばなんだ? これこれを出せと云つてみてくれ。清浄潔白な証拠といふものが、なにかある筈だ。さあ、遠慮はいらん。なんなりと註
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