「C′」は縦中横]の腕をつかみ、そこに引据ゑる)この男は、お前のなんだ。
女優C′[#「C′」は縦中横] 先生ですわ。
男優D 先生? 先生をやつつけたのか?
女優C′[#「C′」は縦中横] やつつけたわけぢやないんですけど……。
男優D やつつけとつたぢやないか。これみろ、虫の息だ。いや、もう呼吸《いき》はしとらん。何処を蹴つた?
女優C′[#「C′」は縦中横] 何処だつていゝぢやないの。うるさい。放して頂戴よ。あたし、もう帰る時間なのよ。
男優D 帰る? 何処へ帰るんだ? お前の今夜の宿は、おれが取つてやる。兎に角、一緒に来い。
女優C′[#「C′」は縦中横] あんた、偽巡査でせう。
男優D (片手を口にもつて行つて呼子を吹く真似《まね》)ついて来たらわかる。(またピリピリピリ)
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男優A、手を叩く。
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男優A そこらで幕にしておかう。初めてとしては、まあそんなもんだらう。何時《いつ》も云ふやうに、想像の範囲がまだ狭すぎるから、これはお互ひ、もつと伸びのびと空想を働かす必要がある。ちつとは羽目を外《はづ》してもかまはん。最初に筋の発展といふことを云つたが、それは即興劇の本体ではない。云はゞ玉蜀黍のしん[#「しん」に傍点]みたいなものだ。弾力と自発性に富む俳優個々の性能が、劇的感覚にうつたへる特殊な魅力になることはこれまで云つた通り。(この時、女優A′[#「A′」は縦中横]が、遅れてはひつて来る)よし、遅れて来た罰として、君、そこへ出て、即興劇をやり給へ。相手を一人、誰か……さうだ、木谷君、君相手役になつて……。(木谷君と指名された男優Eは頭を掻く)
女優A′[#「A′」は縦中横] 先生、筋は……?
男優A 筋は自分で作る。
女優A′[#「A′」は縦中横] あら……。
男優A あらぢやない。今日《けふ》はみんなそれでやつたんだ。さ、始めた。(手を叩く)
女優A′[#「A′」は縦中横] (しばらく舞台の上を往つたり来たりしてゐる)
男優E (登場して)どうもお待たせいたしました。この森の中なら、誰も気づくものはございません。どんな秘密でも、どんな恐ろしい企《たくら》みでも、世の中に知れる気づかひはございますまい。
女優A′[#「A′」は縦中横] なにも秘密な話だからつて、そんな時代めいた口調にならなくたつていゝだらう。当節、お前のやうな男は流行《はや》らないよ。まごまごしないで、こつちへおいでよ。
男優E はい。でも奥様、万一の用心に、私は、この木の蔭にかくれてお話を承りませう。奥様のお声と、鳥の声とは、どうやら聞き分けられさうでございます。(蹲《うづくま》る)
女優A′[#「A′」は縦中横] 当り前ぢやないか。梟と間違へられてたまるもんか。しかし、いざとなると云ひ出しにくいね。お前、大概、察してるだらう。
男優E 察しろといふお許しは、まだ出てをりませんやうに考へますが……。
女優A′[#「A′」は縦中横] ぢや、許すから、云つてごらん。
男優E では、恐れながら、申上げます。あの、殿様をひと思ひに……。(はッとして)声が大きうございますか。
女優A′[#「A′」は縦中横] 小さくつて聞えないんだよ。
男優E あの、わたくしのやうな不束者《ふつゝかもの》でも、奥様の御意に叶ひませば、命に代へて御奉公をいたさうと覚悟いたしてをります。水の中、火の中はおろか、天井裏、床下、さては、お靴下の底でも厭ひません。玉の肌、露の滴、夢は千里を駈けるらん。
女優A′[#「A′」は縦中横] その志はうれしいけれど、生憎《あいにく》、見当が外《はづ》れてるよ。それはまあそれとして、あたしが頼みたいことといふのは、お前さんは当家の執事なんだから、職務がら、ひとつ、御前《ごぜん》を欺して、見込のない事業か何かに、財産をすつかり注ぎ込まして欲しいの。家屋敷は無論、人手に渡す覚悟で、思ひきり大きくやつておくれよ。あたしは、御前《ごぜん》と二人で、裏長屋に住んでみたいの。
男優E それで、わたくしは……。
女優A′[#「A′」は縦中横] 帳面でもなんでも誤魔化すさ。あとで困らないやうに刎ねられるだけ刎ねてお置き。あゝ、こんな生活はいやいや。せめて、暑さ寒さが身にこたへ、水一杯、お粥ひと啜りがお腹《なか》にしみるやうな暮しをしてみたい。
男優E 仰せではございますが、これをわたくし、そのまゝ御前《ごぜん》のお耳に入れる所存でございます。御立腹なさいませうな。――怪《け》しからんことを云ふ。よし、すぐにも、あの女、暇を出せ、籍を抜け、裸にして追ひ返せ、かう、例によつて……。
女優A′[#「A′」は縦中横] 続けさまにおつしやるといふのかい。さうしたら、あたしは、お前さんがさつき云つたことを申上げるよ。玉の肌とは一体、なんのことでございませうつて……。
男優E これは異《い》なこと……。御前様《ごぜんさま》は、大きくお肯《うなづ》きになります。
女優A′[#「A′」は縦中横] そして、お前は、お手討だ。
男優E 如何《いかが》でございませう。お互ひに逃れられぬ運命、この辺で、妥協の道はございますまいか。
女優A′[#「A′」は縦中横] 喉がかはいたよ、あたしは。
男優E 畏まりました。あの音はたしかに泉の音でございます。ひと走り、確めて参りませう。
女優A′[#「A′」は縦中横] なに、あたしも一緒に行くよ。
男優E そこはお危《あぶな》うございます。野茨が茂つてをります。さ、こちらをお通り下さい。(案内をする身ごなし)お待ち遊ばせ。只今、わたくしが場所をこしらへます。お召物をお濡らしにならないやうに……。どれ、お先へ、お毒味をいたしませう。いや、これは冷《つめた》い。水道の水とは比較になりません。天然のアイスオーターでございます。
女優A′[#「A′」は縦中横] さあ、おどきよ。見てないでいゝから、お前あつちを向いといで!(しやがんで清水に口を当てる真似《まね》)
男優E (首だけをそつちに向け)思ひがけない天女の口づけ、森の泉は……。
女優A′[#「A′」は縦中横] (急に顔を上げたかと思ふと、口に含んだ水を、いきなり男優Eの面上に吹きかける)
男優E (平然として)待てば海路の日和、旱天の驟雨《にはかあめ》、情《なさ》けは人の為めならず……。
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男優A、手を打つ。
女優A′[#「A′」は縦中横]と男優Eとは、笑ひながら握手。
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男優A 大分苦しかつたな。これから、今日の成績について、合評会をやる。その前に、われわれ俳優が、第一に考へなければならないことがあるから、それを云つておきたいと思ふ。抑も俳優は、脚本の奴隷であつてはならん。これは勿論であるが、そのことを弁へながら、往々にして、われわれは、脚本作者の与へるものに信頼しすぎ、これの助けなしには芝居が打てぬと考へてゐる。イプセン、チェエホフの天才は暫く問題外とする。当今われわれの周囲に、どれほどの作者、真に作家らしき作家がゐるか。待て! われわれは、まだ、自分の手で作り出さなければならぬもの、また作り出し得るもの、自分の畑で実《みの》らすべき種を、悲しい哉、悉く彼等作者に仰いでゐるんだ。人生のほんの表面の意味、人間の平凡な心理、世相の僅かな観察、そして、舞台の、あの狭い舞台のからくり、それさへわれわれはまだ掴んでゐないのだ。――君たちの書くものぐらゐ、われわれにだつて書けるぞ、かう云へなければ、今日、日本の芝居は面白くなりつこはない。その上で、ほんたうの、専門的な、戯曲家らしい戯曲家の出現を待てばいゝのだ。では、始めよう。
女優A′[#「A′」は縦中横] 先生、ちよつと、質問をさせて下さい。
男優A なんだ。
女優A′[#「A′」は縦中横] 俳優つていふものは、どこまで行つても、自分が自分でないやうな気がいたします。それを思ふと、あたくし、泣きたくなりますの。人に決《き》めてもらつた人物になるんでもなく、人の書いた台詞《せりふ》を云ふんでもない、今日のやうな場合でも、自分が何処へ行くのかわからず、一言《ひとこと》喋舌《しやべ》つた後で、何をしでかすかわからないんですもの。
男優A その疑問は、何《いづ》れ、見物が解決してくれるよ。河野君、君から先づ、気のついたことを云つてみ給へ。
女優D′[#「D′」は縦中横] あたくし、胸がどきどきして、なんにもわかりませんでした。
男優A 困るな。ぢや、遠山君……。
男優C 僕も、誰がどうだつたかよく覚えてゐません。自分のことで頭がいつぱいでしたから……。
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底本:「岸田國士全集6」岩波書店
1991(平成3)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「職業」改造社
1934(昭和9)年5月17日発行
初出:「文芸春秋 第十一年第八号」
1933(昭和8)年8月1日発行
入力:kompass
校正:Juki
2008年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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