かだ。いや、あいつのために、いゝか、わるいか……。もう、わしが出てもよからうか。
とね でも、二葉さんは、あの人に、こんなことも云つてましたよ。――「二人が今、こんな風になつたことは、当分父の耳にも入れずに置きますわ」つて……。
州太 なぜだ、それや……。
とね あんたが心配すると思つてゞせう。
州太 うむ……。では、知らん顔をしてゝやらうか。
とね その方がいゝかも知れませんね。諦めるつていふ点から云へば、自分一人の胸に畳んでおく方が、早く諦めがつくでせう。
州太 待て。それとなく出てつて見よう。
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彼が、さう云つて奥へはひりかけると、事務所の外が、急に、ざわざわし始める。扉が開け放される。
見ると、数十人の人夫が、入口を塞いでゐる。その中から、献作が、一人前に進み出る。
州太は、無意識に、防禦の身構へをする。とねは、扉の陰にかくれる。
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州太 お前たちは、何しに此処へ来たんだ。
献作 先月分の給料をいたゞきに参りました。
州太 (蒼ざめて)だから、さう云つてあるぢやないか、もう少し待つてろつて……。
献作 待てない奴がゐますんですよ。
州太 そんな奴は使ふな。
献作 旦那、それや、ちつと乱暴でせう。
声 やれ、やれ……。
州太 誰だ、今のは……?
声 大きなお世話だ。
献作 (こつちを向き)手前たちや、黙つてろ。待てない奴は使ふなと仰つしやつたところで、わしはじめ食へねえだから、困るだよ。それも、先の見込みがありや、山林《やま》を売つてゞも、こいつらを養つとくだけど、今んところ、温泉《ゆ》は出る見込がなし、土地も売れたつて話は聞かず……。
州太 そんなことはない。現に、今日も、買ひ手がついた。
声 その金はどうした。
州太 お前たちは、なんにも知らんのだから無理もないが、現金が手にはひるまでには、相当の手続がいる。
献作 そればかりでねえだ。噂によると、日疋の旦那からはもう、資本が下りねえつてこつた。
州太 誰がそんなことを云つた。
献作 悪いか知らねえが、郵便局の時田さんから聞いたゞ。
州太 あの狸め……。
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笑声。
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州太 (怒りを制して)みんな、よく聴け。わしは、決してお前たちを見殺しにはせん。
声 殺されてたまるけえ。
州太 無駄働きはさせんといふのだ。どんなことをしてゞも、報酬は払ふ。わしは裸になつても、お前たちが仕事をしたゞけの賃金は、完全に支払つてみせる。
声 そいつを早くしろ。
州太 たゞ、事業といふものは、事業が大きければ大きいほど、思惑通りには行かんものだ。そこを、みんなが辛棒して……。
声 そんな講釈は聴きたかねえ。
州太 さうか。よし。(黙つて、天井を見る)
献作 わしらも、無理なこたあ云はねえだよ。せめて、こゝ、十日分だけでもきちんとして貰へば、またあと十日ぐらゐは、待つてもえゝだ。なあ、おい(後ろを振り向く)
声 そんな腰の弱いこつちや駄目だ。
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人夫達を掻き分けて新井がはひつて来る。はひつて来たが、彼は茫然と、この有様を見守つてゐるだけである。
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州太 (新井に)わしには、もう、方法がない。お前、なんとか解決をつけてくれ。なにがどうなつてもかまはん。欲しいものは、みんな呉れてやれ。
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新井は、州太と、人夫達の群とを見比べて、処置に窮してゐる。この時、静かに左手の扉が開いて、二葉の姿が現れる。彼女は、黙つて、父の傍に近づき、一言二言、何か囁いた後、人夫一同の方に向ひ、低いが、極めてはつきりと――
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二葉 こゝに、あたしの貯金が三百円ばかりあります。あなた方、お父さんを信用なさらないなら、これを持つて行つて、お金を引出していらつしやい。此処の郵便局で手続きを教へてくれるでせう。判も一緒につけて置きます。
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人夫達の私語が一つ時続いた後、
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声 残りはどうしてくれるんだい。
州太 明日、どうにかする。今日は、これで引取つてくれ。
献作 ぢや、さうするか。
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一同が、ぞろぞろ帰つて行くのを、州太は、ぢつと見送る。
二葉は、その父の顔を、悲痛な眼ざしで見守つてゐる。
新井は、首を垂れて、扉を閉めに行く。
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二葉 (努めて平気を装ひながら)お父さん、あのね、青木さんは、この次の上りで、帰るんですつて……。
州太 ……(二葉の顔を見ない)
二葉 (新井に)だから、自動車をね……もう、すぐでもいゝわ……。
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四ノ一
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小舎の入口――「一」と同じ場面。
その日の真夜中。
テラスの上で、とねと新井とが話をしてゐる。
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新井 僕、やつぱり行つてみよう。なんだか気がかりだ。わからないやうに、後をつけて行けばいゝでせう。
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間
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とね そんなことしたつておんなじよ、あたし、はじめつから、はゝあと思つたんだけれど、わざと止めなかつたのよ。一旦、さういふ気を起したら、何時、何処でだつて……。
新井 しかし、無理にでも思ひ止まらせるのがほんとぢやありませんか、こつちでさうと覚つたら……。
とね 駄目よ。あたしには、そんな力ないから……。人が死なうつていふものを、死なせないだけの力は、どう考へたつて、あたしなんかにない……。お芝居のやうに、泣いてみせるなら格別だけど……。
新井 しかし、あゝいふもんかなあ。大将は、不断とちつとも変りはなかつたし、お嬢さんは、何時もより快活なくらゐでしたね。
とね 二葉さんに、この決心があつたかどうか知らないけど……。あのお父つゝあんが一緒に死なうつて云へば、多分、その気になるわよ。誘はれるのには、いゝ時なんだもの。
新井 そのうちに浅間へ登るんだつてことは、前からも聞いてたし、そいつばかりは気がつかなかつたな。(間)さうすると、あんたは、もう仕方がないから、ほうつとかうつていふんだね。
とね ほうつとくもなにも、あたしには、手の出しやうがないぢやないの。そんなことはしないつて云はれゝばそれまでだもの。後からついてつてみたところで、不意に飛び込まれちまへばそれまでだし……。山登りをよさせるつていつたつて、何かうまい口実があつて……? あべこべに、向うが、是非今日でなけれやならないやうなことをいふんだから……。
新井 第一、僕を連れてかないつていふのが、不思議つて云へば不思議だよ。
とね 不思議ぢやない、当り前よ。ほかのものなんかゐちや、邪魔になるさ。
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間
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新井 そのほかに、確かに証拠になるやうなものはないんですか。
とね 書置き? そんなもの、ないやうね。探してもみないけど……。
新井 探して御覧なさいよ。いよいよさうときまつたら、僕、後を追つかけてつて、どんなことをしてゞも連れて帰ります。今から、警察や青年団へさう云つてやつても間に合ふからね。
とね さうして、連れて帰つて来て、どうすんの。
新井 ……。
とね どうせ死ぬ気でゐるものと、一緒に暮して、どうなるつていふの。馬鹿々々しい。
新井 大将は、そんな気の弱い人かなあ。
とね 娘のために、気が弱くなつてるのよ。今日来た男が帰る時だつて、なんのために駅まで送つてくの? 本当なら、挨拶だつてする必要ないんだわ。それに、どうでせう、あのお愛想のいゝことは……。あゝいふところをみると、可哀さうにもなるけど……。
新井 それやどういふ話なんです。お嬢さんのお婿さんになる人でせう。
とね その話が駄目になつたのよ。
新井 へえ。
とね あゝ見えて、二葉つていふ娘も、なかなか、初心ぢやないんだから……。
新井 東京にゐればさうなるでせう。郵便局の出戻りさんだつて、実に、人を喰つてるからなあ。でも、うちのお嬢さんは、あれとはまた違ふでせう。
とね しつかりはしてゝよ。可愛いゝところもあるわよ。
新井 僕はずつと好きだなあ(舌を出す)
とね 早く行つて、助けて来るといゝわ。今なら、物になるかも知れないわよ。
新井 戯談は兎に角、僕、ほんとに行つて来ますよ。だけど、証拠でもないと、大将にどやしつけられさうだなあ。
とね それやさうよ。だから、あんた、探して来て御覧よ。書置なら、大概、人の目につくところに置いたるから。
新井 呆れたなあ、こいつあ……。あんた、人を舁いでるんぢやないですか。
とね さう思ふなら、それでもいゝわよ。あたしや、なんにも、あんたに頼んでるわけぢやないんだから……。
新井 兎に角、あんたは、心配なんですか、心配ぢやないんですか。
とね あたしが……?
新井 たしかにさういふ気がするんですか、しないんですか。
とね さういふ気がするから、するつて云つたゞけよ。それ以上、別に、なんでもないのよ。
新井 益々わからん、僕にや……。それで、あんたは、先生が死んで、なんともないんですか。さうして、ぢつとしてゐられるんですか。
とね だから、どうにもしようがないつて、云つてるんぢやないの。わからない人ね。
新井 悲しくも、怖ろしくもないんですか。
とね そんなこと、あんたが聞いてどうすんの。あたしがどう思つたつて、勝手ぢやないの。
新井 まあ、騙されたと思つて行つてみよう。僕は、心配な時は、心配な顔しかできない人間なんだ。笑はれたつて、かまやしない。(向うへ行きかける)
とね 誰も笑つてやしないわよ。お待ちなさいつたら、ちよつと……。
新井 ……。
とね 今の話は、みんな出鱈目よ。だつて、死にゝ行く人間が、明日の朝、峯の茶屋まで自動車を迎ひに寄越せつていふわけはないでせう。
新井 全くですね。
とね それから、二葉さんは、二三日うちに、また東京へ出ることになつてるのよ。
新井 ほんとですか。
とね がつかりしたでせう。
新井 よして下さい、さういふ変な話は……。
とね あたしも、ことによると、小諸へ帰るわ。
新井 そいつも、嘘らしいな。
とね 見てればわかるわ。また芸者になるのよ。
新井 先生と別れてかね。
とね むろんよ。さうしたら、あんた、遊びに来てくれるわね。
新井 どういふもんかな、そいつは……。
とね どうもかうもないさ。さうなれや、あたしは、誰のもんでもないんだから……。
新井 第一、そんな余裕はないですよ。月二十円の小遣を貰つてるんぢや……。
とね そこは、あたしがうまくやつたげるわよ。知らない仲ぢやなし、安心してらつしやいよ。
新井 だけど、その話は、まだ早いや……。
とね 夜露がひどいから、家ん中へはひりませうよ……。
新井 ほんとに、大丈夫なんだらうな、先生たちは……。
とね まだ、そんなこと考へてんの。御覧よ、今頃は、二人で、六里ヶ原の月でも見ながら、いゝ気持で歌を唱つてるから……。(さういひながら、奥に姿を消す)
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新井は、一つ時、思案に暮れて外に立つてゐるが、遂に、ふらふらと中へはひつて行く。
舞台しばらく空虚。
そのうちに、部屋の奥で、穏かであるが、何か云ひ争ふ声が聞え、やがて、新井が、扉を開けて
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