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とね、奥にはひる。
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州太  二葉、そんなことしてないで、こつちを向いて御覧。袖を下へおろしなさい。わしの顔をみて……。お前には、物の道理がわかつてる筈だ。あんな女、何を云つたつて放つとけ。(さう云ひながら、卓子の上の郵便物に一と通り眼を通す)

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遠くで雷の音。
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州太  此処へ来て坐りなさい。どうだ、山もそろそろ飽きて来たらう。少し涼しくなつたら、何処かの温泉へ行かう。お前が退屈してるのを見ると、わしは気が気ぢやない。たまには、軽井沢の町へでも遊びに行つて来るといゝ。
二葉  ……。
州太  近頃は、この通り忙しいんで、ゆつくりお前の相手にもなつてをれんが、なにか面白くないことでもあるんぢやないか。

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とねが、麦酒を持つて来る。
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とね  (麦酒を注ぎながら)二葉さんも、一杯いかゞ?
二葉  (首をふる)
州太  (とねに)お前も一つやれ。おれが仲直りをさせてやる。一体、何を喧嘩したんだ。おれの留守に……。
とね  いやだ、喧嘩なんかしやしませんよ。ねえ、二葉さん、あたしは、そんなつもりぢやないんですよ。たゞ、この人が、あんまり沈んでるやうだから、なにかわけがあるんぢやないかと思つて、訊いてあげたゞけなんですよ。
州太  さうか、二葉。
二葉  さういふ時、あたし、いろんなこと訊かれるの厭やなんですもの……。
とね  だつて、あんた……。
州太  訊いてくれるなと云ふんなら、訊かずにおかうぢやないか。注げ。この奴さんも案外苦労性で、人のことつていふと躍起になるんだ。(二葉に)お前もまた、それくらゐのことで、泣かんでもいゝぢやないか。それとも、泣きたいほど悲しいことがあるのか。そんなことは、ありやせん。つまらんことを考へるひまに、わしの事業を見ろ、事業を……。七月この方、土地を見に来るものが、毎日平均三人……。これは素晴しい数字だ。その場で契約はできなくつてもいゝ。来年の夏までに、少くとも、このうちの二割は、申込んで来るとみて差支へない。そのほか、土地の条件だけ気に入れば、実際は見なくつても買つて置かうといふものもある。現に、今日手金を打つて行つた夫婦連れの紳士は、是非親戚や友人にも勧めてみると云つてゐた。この調子で行くと、事務所もこれぢや人手が足らんかも知れんぞ。(とねに)新井を此処へ呼んで来い。いゝ年をして唱歌ばかり歌つとる。

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とね、奥へはひる。
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州太  何が悲しいんだか、早く云つて御覧。東京から便りでもないのか。
二葉  今日、久し振りで手紙が来たの。
州太  そんならいゝぢやないか。嬉しくつて泣いたのか。
二葉  まさか……。あたし、一度、東京へ行つて来たいの、そのことで……。
州太  行きたけれや、行つて来るさ。急ぐのか。
二葉  えゝ、明日にでも……。

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新井がはひつてくる。
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州太  駅に待つてるつていふお客さんは、どうした。
新井  今、自動車が迎ひに行つてます……。案内は、先生がなさるんですか。
州太  どんな人だ。
新井  まだ二十六七ぐらゐの、若い男の人です。
州太  二十六七……三十六七だらう。
新井  いゝえ。だから僕、少し変だと思つたんですけれど、土地を御覧になりますかつて訊いたら、あゝ土地も土地だけど、それより先に、丹羽さんの事務所へ案内してくれつて云ふんです。

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とねが、麦酒の代りをもつて出て来る。その後から、則子が続いて現れる。
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州太  やあ、あんたも来てたのか。そいつあ賑やかでいゝ。さあ、お祝ひだ、一杯どうです。
則子  なんのお祝ひでせう。
とね  さあ、なんかの前祝ひでせう。注ぎますよ……。(注ぐ)
州太  だが、実に愉快だ。誰にも想像がつかんだらう。このわしの頭の中は……。(則子に)あんたのお父さんなんか、眼前のことばかりしか見えんが、ちつとさう云つておやんなさい。人間は、自分のことを第一に考へちやいかんつて……。わしは、第一に、娘のことを考へてる。第二には、世の中のこと……。それから、第三に、自分だ……。
則子  それで、奥さんのことは……?
とね  第四よ。
州太  いゝや、それが間違つてる。二葉に訊いて御覧。こいつは、なんでも知つてゐるから……。おい、新井、なぜ、そんなところで黙つてるんだ。お前は、おれの片腕だ。もつと飲め。
新井  もう結構です。
州太  馬鹿云ふな。そんな風だから、人夫共に勝手な真似をされるんだ。
とね  余計なこと、およしなさいよ。
州太  今のは戯談だ。新井某は、これで豪傑だよ。足の裏へ釘をさしたま、平気で歩いて御座る。

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表に、自動車の音。
新井が、表へ飛び出す。
やがて、彼は、一人の青年を案内して、戸口に現れる。
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二葉  (その青年を見るなり、悶絶せんばかりに驚き)あら……どうして……?

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青年は、鷹揚に帽子を脱ぎ、一同に会釈して部屋の中にはひる。二葉の婚約者、青木利元(二十七)である。
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青木  (誰に云ふともなく)突然お邪魔して、どうかとも思ひましたが、急に是非(二葉の方を向き)お目にかゝつてお話したいことがあつたもんですから……。
州太  (それと察して二葉に)この方が、なにか……。
青木  始めまして……。僕、青木です。
州太  あゝさうですか。わたし、二葉の父です。
とね  それぢや、(二葉に)あんたのお部屋がいゝでせう。ちよつと掃き出して来ますわ……。

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とね奥に引つ込む
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州太  よくおいで下すつた。あちらでは、また、二葉がいろいろ……。
青木  いゝえ……。前以て電報でもと思つたんですが、その暇に来てしまへるやうな気がして……。割合、便利なとこですね。
州太  いや、今年はまだ……。これでも来年は余程活気を呈するでせう。二葉とも話したことですが……。
二葉  それぢや、お父さん、あちらで……。
州太  うん、わしも、後から行く。
二葉  (青木に)どうぞ……。

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彼女は、首をうなだれたまゝ、先に立つて、青木を奥へ案内する。
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新井  なんだ、さうだつたのか。
則子  あたし、一と目みて、さうだらうと思つたわ。
州太  (満足げに)やあ、わしも気がつかなんだ。さうか。さういふわけか。(新井に)すると、お前は別に用はないから、もう一度駅まで行つて、何か珍しさうな鑵詰を、三つ四つ頼んで来い。それから鶏を一羽とな。序に則子さんを送つて行つてあげろ……。自動車を使つてもいゝから……。
則子  ありがたいツと……。ぢや、さよなら……みなさんによろしく……。

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則子と新井とが出て行くと、州太は、独りで室内を歩きまはる。
長い間――
やがて、とねが、跫音を忍んで現れ、州太の耳もとへ口を寄せ、何か囁く。
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州太  なに? そんなことはわかりやせんよ。第一、他人《ひと》の話を盗聴きなんかするな。
とね  (また、なにか囁く)
州太  そこがいゝとこぢやないか。几帳面な間柄つていふものは、久振りで会つたからつて、さう馴れ馴れしくはせんよ。
とね  いくらなんでも、それや無愛想な口の利き方ですよ。二葉さんは、もう、半分泣いてるやうでしたわ。
州太  いゝから、あつちへ行つて、飯の支度でもしろ。今、新井を駅へやつたが、今夜の間には合ふまい。鶏ぐらゐ、手にはひるかも知れん。
とね  ほんとに、いゝんですか。若いもの同志ですから、どんなことで……。

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彼女はまた、跫音を忍んで、奥へ去る。
州太は、その後から、これも抜足差足で戸口に近づく。
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州太  (声を潜めて)おい、おとね、もう一度、様子を見て来い。なにか、変つたことがあつたら、さう云へ。

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さう云ひ終つて、彼は、戸口に佇んでゐる。
長い間――
やがて、また、とねの姿が現れる。
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とね  (低い声で)詳しい話は、よくわからないんですけどね、なんでも、二葉さんが、あの人に隠してたことがあるらしいんですよ。
州太  隠してたこと? なんだ、それや……。
とね  (制して)駄目ですよ、大きな声をしちや……。二葉さんの方の云ふことがよく聞えないんですよ。男の方ぢや、かう云ふんです。――「それぢや、あなたは、さういふ事実を認めるんだね」つて……。
州太  それで、二葉の返事は……。
とね  黙つてるらしいんです。
州太  事実……どんな事実だらう……。あいつに罪があることかどうか……。
とね  やつぱり、男との関係ぢやないんですか。
州太  そんなことが、どうしてわかる。
とね  だつて、さういふ事実つていふからには……。それに、ほかのことなら、あんなに二葉さんを責めるわけはないぢやありませんか。
州太  そんなに責めてるか。
とね  可愛想なくらゐですよ。
州太  よし、わしが行つてやる。
とね  およしなさい。それこそ見つともないから……。
州太  立ち聴きをするんぢやない。わしから話しをしてやるんだ。
とね  今は無駄ですよ。云ふだけのことを云はしてからの方がいゝでせう。こつちには事情もなにもわかつてないんですもの。なまじつか、あんたなんかゞ口を出すと、変にこぢれちまふわ。待つてらつしやい。もう少し、様子をみてみるから……。

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彼女は、また、奥へ姿を消す。
州太は焦ら焦らしながら、その辺を行つたり来たりする。
その時、菰原献作が、右手からはひつて来る。
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州太  なんの用だ。
献作  ちよつと、旦那にお話したいことがあるんですが……。
州太  後にしろ。
献作  少し、急ぎますんで……。
州太  いゝから、後にしろつたら……。

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献作は、一旦、外へ出るが、また後へ引つ返して来る。
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献作  何時頃が、よろしいんでせう。
州太  明日にせえ、明日に……。今日はもう帰つていゝ。
献作  ですが、さういふわけに行きませんので……。
州太  なに? なにがさういふわけに行かん。お前は、近頃、横着だぞ。

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献作は、ぢろりと州太の方をみて、そのまゝ出て行つてしまふ。
とねが現れる。州太は、急いで、その方に近づく。
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州太  なんだ?
とね  話が面倒になつて来たわ。いよいよ、別れるとか別れないとかつていふところへ来たらしいの。二葉さんは、わりに落ち着いてますよ。物の云ひ方だつて、しつかりしたもんだわ。でも、今のうち、なんとか縒りを戻せないか知ら……。
州太  その方が、二人のためにいゝか、どう
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