が仕合せかつて云はれたら、全く返事に困りますよ。うれしいと思つたことが、実は、不仕合せの種なんですもの。何時でもですよ、これは……。若い時分は、それや、違ひますよ。一度や二度は、あゝ仕合せだと思つたこともあつたでせう……。今ぢや、もう、男のそばにゐるつてことは、結局、障子に凭つかゝつてるやうなもんですよ。
二葉 それぢや、お父さんが可哀想だわ。
とね それで丁度いゝんですよ。あんたには、お父さんのさういふところが、わからないんでせう。また、その筈だわ。
二葉 あたしにわからないとこつて……どんな風なの。教へて頂戴よ。
とね それも、ひと口には云へませんけどね。つまりどつちかつて云へば、冷たいんでせうね。
二葉 そんなか知ら……。
とね ……。
二葉 それぢや、あんたは、不仕合せね。
とね さうとも限りませんよ。もつと不仕合せなことが、いくらだつてあるんですもの。云つてみれば、あたしに相当したところを、神様が探して下すつたんでせうよ。さう思つてますよ、あたしは……。まあ、この話は、これくらゐにしときませう。あとで、蓄音機、聴かせて下さいね。
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上の方から、州太の声で「おい、なにをしてるんだ。早く飯にせんか」
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とね (眼だけで二葉に笑ひかけ)はい、はい……。(大急ぎで去る)
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二葉は、それを見送つた後、一つ時、ぼんやり立つてゐる。
州太が、再び現れる。
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州太 あいつと何を話してたんだい。
二葉 いろんなこと……。
州太 お前なんかと、話は合ふまい。
二葉 ところが、なかなか合ふのよ。
州太 へえ、そいつはどうかしてるね。
二葉 どうもしてないわよ。お父さんこそ、あの方をさういふ眼で御覧になるからいけないのよ。
州太 それはそれとして、飯にしようぢやないか。
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二人は、どつちからともなく歩き出す。
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二葉 (独言のやうに)さうか知ら……ほんとに冷いのか知ら……。
州太 (後ろを振り返り)なにが冷いつて……?
二葉 (突嗟に)山の水よ。
州太 (平然と)それや、冷いさ。
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やがて、二人の姿が消えると、菰原献作が人夫を三人連れて、番小屋の裏から出て来る。
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献作 ぶつくさ云はずに、まあ仕事を始めろ。
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三人の人夫は、鶴嘴とシヤベルで櫓の脚のまはりを掘りはじめる。
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献作 手間は安くなつても、仕事がねえよりやましだ。その代り、一日んところを二日かけちまや、もともとだ。
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人夫三人は、調子を合せて歌ひ出す。
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歌――もう出る、もう出るで、一年暮した
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宝掘る気で、温泉掘つたりや
いくら掘つても、温泉は出らずにや
出たと思つたは、熊の小便
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献作 よからう。こんだ、そつちだ……。
歌――もう建つ、もう建つで、半年暮した
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家を建てるにや、道からつけろか
道をつけるなら、家から建てろい
人の通らん間に、独活《うど》が生えた……。
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三
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八月の末の或る日。午後四時頃。
小舎の内部。事務所に充てた一室。
正面に二つの窓。遠く、浅間の全容。窓ぎはに製図用卓子。
左手は居室に通ずる扉。
右手、奥に大きな窓。そこに、事務卓子が二つ、向ひ合つて置かれてある。同じく右手、プロセニウムに近く、事務所の出入口。
壁には、地図、宣伝ポスタア、軽便の時間表など。その他、書類を入れた硝子戸棚。室の一隅に、測量用器具が雑然と立てかけてある。
二葉が事務卓子の一つに向ひ、ぼんやり頬杖をついてゐる。
右手の窓口に郵便配達夫の姿が現れる。
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二葉 遅いのね、今日は……。
配達夫 数が多かつたからね。(郵便物を卓子の上に投げ出す)
二葉 (それを、一つ一つ撰り分け、そのうちの一通を手早く開封する)
配達夫 今日は、持つてく手紙はないかね。
二葉 待つてゝくれゝば書くわ。
配達夫 さういふわけにやいかねえよ。腹がすいちまつた。
二葉 食べるもんぐらゐあつてよ。
配達夫 明日は早く来るよ。(去る)
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二葉は手紙を読み続ける。
右手の扉が開き、新井が飛び込んで来る。
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新井 大将はまだ帰りませんか。
二葉 まだらしいわ。何か御用……?
新井 自動車一台ぢや、とても間に合ひませんね。今、一人駅で待つてるんですよ。
二葉 歩いて貰つたつていゝぢやないの、男の人なら……。
新井 印象が違ふでせう。一時間の軽便で、大概の人は、参つてますよ。
二葉 (手紙の上に眼をおとし)そんな人は、来なけれやいゝんだわ。
新井 しかし、大将も今日は有頂天ですよ。今年のうちに一人でも契約者が出来るなんて、考へてもゐなかつたでせう。なにしろ、まだ区劃割も……。
二葉 あんた、さうしてる暇に、お父さんを探してらつしやいよ。さつきの人達を案内してるうち、自動車を駅の方へ廻せばいゝぢやないの。
新井 さうしませう。あとでまた、蓄音機を借りてようござんすか。
二葉 いゝわよ。
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新井が出て行くと、二葉は、また、手紙を読み耽る。
とねが、左手の扉から顔だけ出して、そつと、この様子を見てゐる。
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とね (やゝあつて)二葉さん、お汁粉をこさへたけれど、あがらない?
二葉 さうね、今いたゞきたくないわ。
とね (はひつて来て)手紙が来たの?
二葉 (黙つてうなづく)
とね いゝお便り……?
二葉 (口を尖らしてみせる)
とね 手紙に書いてあることなんか、いちいち気にしちや駄目よ。会へばなんでもないことなんだから……。(間)それぢや、あんたの分はとつとくから、あとでおあがんなさいね、欲しいとき……。
二葉 えゝ、ありがたう。
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とねの姿が奥に消えてから、二葉は手紙を懐にしまふ。
突然、外から、「二葉さん、また来たわよ」といふ女の声。
二葉、窓の外を見る。
やがて、扉が開いて、時田則子(二十八)が汗を拭きながらはひつて来る。
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則子 近道をしようと思つたら、ひどい目にあつたわ。沢の中へ足を踏み込んで、こら、草履が台なしよ、このまゝでいゝか知ら……。
二葉 さうね。
則子 いゝわよ、どうせ泥靴のまんま上るところぢやないの。ちよつと、遠慮してみたゞけよ。それはさうと、お手紙が来たでせう。
二葉 えゝ。
則子 配達にさう云つといたのよ、こつちへイの一番に廻るやうにつて……。何時もより早かつたでせう。(間)あなたが待つてらつしやる手紙、あたしにちやんとわかるのよ。
二葉 感心ね。
則子 郵便局をやつてるから云ふわけぢやないけど、あたし、筆無精ぐらゐ癪にさわるもんないわ。青木利元さんも筆無精ね。
二葉 その話なら、もうよして頂戴よ。
則子 だつて、あたしも、手紙が来ないつていふことぢや、あなたとおんなじ苦労をしたことがあるのよ。
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奥から、蓄音機の感傷的な曲が聞えて来る。多分、新井がかけてゐるのだらう。
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則子 それが、ちよつと説明しないとわからないのよ。あたしの夫つていふのは、お話したかも知れないけど、ある製薬会社に勤めてゐた人なの、よくつて……。そこで、いよいよ赤ん坊ができたわけよ……。(間)すると、あたしにかういふの――自分の手許で産をさせるのは気がかりだから、一旦国へ帰つて、産をすましてから出て来いつて……。さういふもんだから。あたし、そのつもりで、こつちへ帰つて来たの。ところが、お産までは、一週に一度ぐらゐ手紙をくれたか知ら……。それつきり、あとは、ぷつつり便りが来ないの。どんな気持がしたでせう、そん時は……。あたしも、今のあなたとおんなじに、二日に一度づつ手紙を書いたわ。さうなると、もう、自棄《やけ》ね。おんなじことを、何度も何度も……。それが、一と月目に、やつと手応へがあつたと思つたら、こつちの手紙に符箋がついて戻つて来たの。おきまりの居所不明よ。泣きたかつたわ。
二葉 ……。
則子 それから、大急ぎで、東京にゐる友達に頼んで、会社の方を調べてもらつたの――会社へ手紙を出すことは止められてゐたんですもの。さうしたら、会社には、ちやんと出てるんですつて……。
二葉 (だんだんその話に聴き入つて来る)
則子 さうなると、あの父が承知しないわ。あたしが止めるのも聴かず、独りでのこのこ東京へ出掛けてつたものよ。会つてからの云ひ草が図々しいぢやないの。――「僕も、妻子の手前、さう何時までもかゝり合つてはをられませんから……」ですつて……。
二葉 え! 妻子の手前つて……?
則子 (なにくはぬ顔で)妻子つて云へば、つまり、あたしたちのことだわね。それに、さういふんですつて……。それや、薄々は……。でも、そんなこと、今更……。どつちにしたつて……兎に角、問題は……。結局、向うの……つまり、こつちの……。あゝ、なんだか、わからなくなつちやつた……。
二葉 (がつかりしたやうに)いゝわよ、もうなんにも聞かなくつたつて……。
則子 蓄音機かけてるの、新井さんか知ら……。
二葉 さうでせう。
則子 あたしも、かけて来てよくつて……あれが聴きたいのよ、そら……この前、好きだつて云つた……。(さう云ひながら、奥にはひる)
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二葉は、そのまゝ、卓子の上に突つ俯してしまふ。
とねが奥から顔を出し、この様子をみてゐる。
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とね (やがて)どうしたの、二葉さん。
二葉 ……。
とね あたしに云へないこと?
二葉 ……。
とね あたし、だんだん、あんたのお母さんみたいな気がして来るのよ。可笑しいでせう。でも、ほんとなんだもの。大きな赤ん坊だ、これや……(二葉の肩へ手をかける)
二葉 (肩をゆすぶり)ほうつといて頂戴よ、なんでもないんだから……。
とね 駄々をこねてるわ。
二葉 いゝのよ、なんだつて……。あたし、一人で、少し考へたいことがあるのよ。あつちへ行つて、頂戴……。
とね そんなら、仕方がない……。このおつ母さんは落第だ……。
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諦めて、彼女は、奥へはひらうとする。が、この時、二葉は、急に背中を波うたせて、啜り泣きはじめる。
途端に、左手から、州太がはひつて来る。
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州太 (この様子を見て)なにをしてるんだ。お前たちは……。つまらん真似をするんぢやない。
とね (心外らしく)あら、そんなことぢやないんですよ。
州太 もういゝ。今日はどういふ日だと思つてる? 土地が始めて売れた日だ。みんなで、祝ひをせえ、祝ひを……。
二葉 (袖で顔を覆ひながら、奥へ走り去らうとする)
州太 待ちなさい、二葉。何処へ行くんだ。
二葉 (州太に背を向けたまゝ立ち去る)
州太 (とねに)おい、麦酒を持つて来い。
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