に行つちまふ男ぢやないのかい。
二葉  あん時こそ、あたし、どうかしてたのよ。まだ二十一だつたんですもの。
州太  専門はなんだ。
二葉  法科から文科に変つたんですつて……。社会学でせう。
州太  学校を出て、どうするつもりなんだ。
二葉  今時、自分の思ふやうな口があるもんですか。お父さんの関係してる会社へでも、使つて貰はうつて云つてるわ。それや、その方が悧巧よ。あたし、無闇に野心家ぶつてる男、嫌ひなの。(間)あの蓄音機ね、山ん中で退屈だらうからつて、あの人がくれたのよ。

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長い間。
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州太  ふむ、さうか。で、もう約束をしてしまつたんだね。
二葉  えゝ。
州太  そんなら、もう、なんにも云ふことはないさ。わしに相談をしなかつたのが、少し手落ちだが、何れにしても結果はおんなじだらう。わしの、たつた一つの楽しみは、お前に、すばらしいお婿さんを見つけてやることだつた。しかしまあ、お前が自分で見つけたのなら、それはそれでもいゝさ、すると、お前は、今、先々のことで、なんにも心配はないんだね。
二葉  自分だけのことなら、心配なんか、ちつともしてませんわ。
州太  すると、わしの方のことが、心配だつていふのかい。
二葉  ……。
州太  今度こそは大丈夫だよ。去年から、少しづゝでも、お前んところへ小遣を送つてゐるが、あれはちつとも無理をして送つてゐるわけぢやない。この調子なら、お前の嫁入の仕度ぐらゐなんでもないさ。恥かしくないだけのことはしてあげられるつもりだ。場合によつては、お前たち二人のために、手頃な別荘を建てゝやつてもいゝぜ。今から、その辺で、此処と思ふ場所を探しといたらどうだ。
二葉  話がよすぎるわ。
州太  さう思ふだらう。ところが、運の向いて来るつていふのは不思議なもんで、わしにも夢だとしか思はれないことがある。この機械だつて(櫓を指さし)十二万円も出して亜米利加から取り寄せたんだ。四十何万坪、ちよつと五十万坪ばかりの土地が、唯みたいな値で手にはひる。それが、今、どんなに安く売つても、坪二円……。温泉附なら、その十倍といふ相場だ。資金の方は、日疋君が、いるだけ出すと云つてくれる。今の暮しだつて、もつと派手にすれば出来ないこともないが、わしの趣味と良心が、それを許さないだけだ。
二葉  ほんとによかつたわね。かういふことが、何時かなくつちや嘘だわ。あたし、自分だけが幸福なんぢやないかと思つて、こゝへ来るまで、随分気が気ぢやなかつたのよ。こんな淋しい山の奥で、お父さんが汗だらけになつて働いてらつしやるんだと思ふと、それだけで涙が出さうだつたわ。しばらくでもお側にゐて、できるだけお手伝したり、元気をつけてあげたりしようと思つて来たの。
州太  それや無論、お前が側にゐてくれゝば、お父さんも元気が出るさ。
二葉  でも、あたし、ほんたうは、そんな孝行娘の真似なんかしなくつてすめば、その方がありがたいわ。自分だけで、空想を楽しんだり、お父さんを少し怒らしたりする方が好きなんですもの。
州太  お父さんは怒らないよ。
二葉  なにをしても……?
州太  うん。
二葉  なにを云つても……?
州太  うん。
二葉  珍しいお父さんね。
州太  何か云ひたいことがあるんだらう。
二葉  それや、おほありよ。
州太  云つて御覧。(娘の側に近寄り、その顔を見下ろす)
二葉  (無意識に立ち上り、父の視線を避けるやうにして)あのね……あの女の方、どういふ方……?
州太  おとねつていふ女か。(間)お前はなんだと思ふ?
二葉  あたしに云はせるの? ずるいわ……。
州太  おほかた察しがつくだらう。わしは、お前に、なんにも隠さない。(間)その通りだ。
二葉  結婚なさるおつもり?
州太  はじめは、そんなつもりぢやなかつた。今でも、そんなことは考へてない。しかし、お前が勧めるなら、結婚してもいゝ。

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二葉  それだけのことがわかれば、もういゝのよ。
州太  それだけのことが、どうして知りたかつたんだ?
二葉  さうね、好奇心よ、きつと。
州太  好奇心……? そんな風に誤魔化さなくつてもいゝ。わしは、お前の前で告白をするが、あの女とわしとの関係は、お前たちが想像もつかないやうな、俗つぽい、だらしのない関係だ。あれは小諸で芸者をしてゐた女だ。いろいろ苦労をした揚句、商売を止めたいといふから、わしも今、独り身ではあり、引取つて世話をすることにしたんだ。向うも、男なら、わしと限つたわけでもあるまいし、こつちでも、あれでなけれやならんといふほど、面倒な気持はない。こんなことを、お前が知つたつてなんにもならんが、世間には、さういふ例がいくらもある。わしも、この年で、しかも、お前の眼の前で、こんな生活を続けたくはないんだが、今更どうも、致し方がない。お前に不愉快な思ひをさせてすまんが、こゝはひとつ、大目にみてくれ。
二葉  あたしに、そんな気兼ねをなさらなくつていゝことよ。人間は、何時だつて自分に克てないことがありますわ。
州太  それがわかつてくれゝばありがたい。だから、お前は、飽くまでもこの家の女主人だ。誰にでも遠慮なく振舞ふがいゝ。
二葉  あの方にも、さう云つておあげになるといゝわ。あたしと、あの方と、どんな風に遠慮なく振舞ひ合ふか、お父さん、見てらつしやいね。女同志は、世間でいふほどうるさいもんぢやなくつてよ。
州太  お前にはかなはんよ。まあ、よろしくやつてくれ。もうぼつぼつ飯の支度ができてる時分だ。あつちへ行かないかい。(歩き出す)
二葉  もう少しかうしてたいの、あたし……。浅間がいゝ色ね、今朝は……。
州太  そのうちに、一度、登つてみるか。
二葉  賛成ね。その用意に、靴も持つて来てるのよ。

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州太の姿が消える。
二葉は、そのまゝそこに腰をおろしてしまふ。今迄の晴れやかな瞳に、なんとなく憂鬱な色が浮ぶ。
鶯が啼いてゐる。
葱を入れた笊を持つて、とねが降りて来る。
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二葉  早くお起ししてすみません。
とね  とんでもない。今朝は、どうしてだか寝坊をしちまつて……。何時も、今頃は、とつくに朝御飯がすんでるんですよ。
二葉  (皮肉でなく)それぢや、お寝坊をさしてすみません。
とね  (笑ひながら)あらまあ、こんだ、どう云つたらいゝんでせう。こゝは、水が不自由でしてね。(葱を洗ひはじめる)一日に何度も、下へ降りて来なくつちやならないことがあるんですよ。早く水道が引けるといゝんですけどね。
二葉  明日から、お勝手のお手伝ひをしますわ。今日一日、休暇を頂戴ね。
とね  休暇……? あゝ、お休みですか。えゝえゝ、いくらでもあげますとも……。今迄、水仕事なんかなすつたことはないんでせう。
二葉  どういたしまして……。父と二人つきりの時は、なんでもやりましたわ。胡瓜もみ[#「もみ」に傍点]なんかさせて御覧なさい。手に入つたもんよ。
とね  いやだ。今夜は、そのつもりでゐたのに……。
二葉  こんなところで、雪でも降つたら買物はどうなさるんですの。
とね  軽便は止つちまひますしね。仕方がないから、あるもんで我慢するんですよ。今年の冬なんか、お米がきれさうで、さんざ気を揉みましたよ。
二葉  お米がきれたら、どうするんでせう。
とね  荷馬車が通へばですけれど、さもなけりや、餓ゑ死ですわ。でも、それまでには、誰か、なんとかしてくれるでせう。
二葉  安心してらつしやるのね。
とね  男つて、さういふ時には、わりに役に立つもんですよ。
二葉  ほんとね。あなたつて、面白い方……。あたし、好きよ。
とね  (更めて、相手の顔を見る)
二葉  失礼だつたら、御免なさいね。
とね  失礼なもんですか。さう云つて貰へば、これでも嬉しいんですからね。あたしみたいな女にでも、若い時があつて、好きなものは好き、嫌ひなものは嫌ひと、はつきり云つちまへた時代があつたんですもの。今は、何を云つても、人がそのまゝに取つてはくれませんけど、あんたゞけには、ほんとのことがわかつて貰へさうな気がしますわ。
二葉  大変なことになつたわね。あたしは、それほど物わかりがいゝんぢやないのよ。たゞ、人つていふものを、そんなに怖がらないだけ……。無遠慮だと思ふ人は、さう思へばいゝんだわ。その代り、おせつかい[#「おせつかい」に傍点]もしないことよ。
とね  姑さんにしてみたいね。
二葉  なつたげるわ。
とね  そこにゐると、水が跳ねますよ。(間)あたしや、東京つていへば四ツ谷しきや知らないんだけど、あつちへいらしつたことあつて……。
二葉  四ツ谷の何処でせう。
とね  もう、かれこれ十年以上になりますからね。それも、おほかた病院で暮しちまひましたよ。
二葉  おからだ、お弱いの?
とね  ……。
二葉  よく肥つてらつしやるぢやないの。
とね  あゝ、いやんなつちやふね。あたしが喋るつていや、みんな下らないことばかりなんだもの。
二葉  どうして? そんなことないわ。
とね  あたしが以前、どんなことしてた女だか、あなた知らないんでせう。
二葉  以前のことなんか、どうだつていゝぢやないの。
とね  どうせ知れるんだから、云つちまふわね。その方がさつぱりするから……。それとも、誰か話した?
二葉  お父さんから、あらまし聞いたわ。
とね  さう、そんならいゝけど……(葱を洗ひ終つて、起ち上る)ちよつと、そんな風に見えて、あたし?
二葉  見えないこともないわ。
とね  どういふとこ、例へば……?
二葉  むづかしいなあ、そいつは……。何処か、粋《いき》つていふのか知ら……。
とね  粋はよかつたね。はゝゝゝゝゝ。
二葉  (あつけに取られて、相手の顔をみる)
とね  大きな声を出すもんだから、びつくりしてなさるわ。此処にゐると、みんな声が大きくなるんですよ。近いと思つても、そら、周りが広いでせう。ちつとやそつと怒鳴つたぐらゐぢや、聞えないんですよ。
二葉  あたし、少し、あんたにお訊ねしたいことがあるの。今、お忙しい?
とね  お鍋を掛けつ放しにして来てあるんだけど……かまはないわ。どんなこと?
二葉  あなた、お父さんのお嫁さんになる気なくつて?
とね  なにかと思つたら、そんなこと……。こつちばかりさういふ気でゐても、しようがないぢやないの。
二葉  あなたがさういふ気でゐて下されば、あたし、骨を折つてよ。どつちでもいゝやうなことだけど、やつぱりさうと決まれば、万事に気持が違ふだらうと思ふの。あたしだつて、その方が、ずつと居心地がいゝわ。
とね  さういふ話、こんなとこぢや、ゆつくり出来ませんよ。たゞね、舁《かつ》ぐやうで変だけど、あたし、これまで、二度も人の世話になつて、二度とも、いざ正式につていふことになると、不思議によくないことがあるんですからね。
二葉  よくないことつて……?
とね  最初は、その男が急病で亡くなるし、二度目は、相手にほかの女ができて、こつちがゐたゝまらずに、出ちまふつて風でね。
二葉  ……。
とね  だから、このまゝでゐた方がいゝつていふ気もするんです。
二葉  ……。
とね  気をわるくなすつちやいけませんよ。あんたの御親切はよくわかつてるんだから……。
二葉  さうでせうかね。あたしは、さういふこと信じないけど……。でも、兎に角、さういふお気持伺つて、あたし、うれしくなつたわ。(間)お父さんは、優しい人でせう。
とね  さあ……、(笑つてゐる)
二葉  一緒にゐて、幸福だとお思ひになる?
とね  (とぼけて)幸福つて、どんなことをいふんでしたつけ……。
二葉  あら……。
とね  わかつてますよ、言葉の意味はね。でも、どんなこと
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