(黙つて部屋にはひり、頼信紙に文句を書きつけて、出て来る)
時田  (受けとつて読む)――「キカイウツスヒトヨコセ」ツイデニ……ツイデニ……これやなんだね。あゝ、さうか、わかつた。なるほど、はたでみてるよりは、経費《かゝり》が大きいわけだね。(サイダアをコツプに注いで飲む)今日はね、丹羽さん、実は、あんたに少し頼みたいことがあつて来たんですがね。
州太  わたしに……? はあ……。伺つてみませう。
時田  なに、つまらんことなんだが、わしんとこの娘さ。御承知のやうな事情で、今、手許に置いてあるんだが、何時までもあのまゝぢや可哀想だし、なんとかせにやならんと思つとる。そこで、ひとつ、あんたは顔も広いし、そのうちに、心当りがあつたらどんなところでもいゝ、是非世話をしてやつていたゞけたらと、昨夜も婆さんと話し合つた次第だ。どうでせう、おやぢの口から云ふのも可笑しいが、誰がみても、二十八とはみえない若作りではあるし、子供さへこつちへ引取ることにすれば、初婚だと云つても疑ふものはなからうと思ふ。それはまあ、よろしいやうにお委せするとして、早い話が、日疋さんのやうな方でもだね、万一、奥さんを探してらつしやるなんていふ話があつたら、無駄でもいゝから、あんた、そばから、ひと言、耳打ちをして下さらんか。――うん、さうか、それや、却つて、さういふ女の方が面白い、なんていふことにならんとも限らんからね。あの方は、まだ独身だつたね。
州太  独身になつたといふ話は聞きませんよ。
時田  すると、もうなにかね。奥様がおいでかね。
州太  まあ、さうのやうですね。
時田  そいつは、しまつた。
州太  自分の娘を片づけなけれやならん男が、余所の娘さんをお世話するなんていふことは、無論覚束ない芸当だとは思ひますが、しかしまた、伺つておいて、何かのお役に立つかも知れません。
時田  いや、おほきに。こちらは別に、望みが高いといふわけでもないんだから、まあいゝが、あんたんとこの二葉さんは、そこへ行くと、大分、あゝでもなし、かうでもなしだらうな。
州太  (黙つて時計を出して見る)
時田  ――お父さん、今日は是非、二葉さんつていふ方を見て来て頂戴ねつて、わしんとこの娘、余程楽しみにしてると見えて、出かけにさう云ふんでね。もう少し、お邪魔をさして貰はう。おほかた、着いた時分だね。
州太  (耳を澄まし)あの音がさうでせう。少し遅れましたね。
時田  あんた、忙しけれや、どうぞわしにかまはずに……。
州太  それぢや、ちよつと、失礼します。(部屋にはひり、卓子に向ふ)
時田  (しばらくぢつとしてゐるが)わしも途中まで迎ひに行つてこう。(さう云ひながら自転車を引つ張つて去る)

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やがて、とねがテラスに現れる。
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とね  (窓の上の盆を片づけながら)局長さんは、もう帰つたんですか。
州太  ……。
とね  遅いやうですね。
州太  ……。
とね  もう、あたしに、返事もして下さらないんですか。
州太  お前のさういふ気持が、おれには、やり切れないんだ。なにもかもわかつてる。黙つてゝくれ。
とね  あんたは、無理な人ね。かういふとき、あたしは、どうすればいゝのか教へておくんなさいよ。昨夜《ゆふべ》からそれを訊《き》いてるんぢやありませんか。――お前がいゝと思ふやうにしろ、こんなことぢやわかりませんよ、あたしには……。二葉さんの前で、あたしは、一体、なんなんです。おつ母さんでもないでせう。そんなら、女中ですか。それならそれでかまひませんよ。あたしは、なににでもなります。
州太  だから、事実ありのまゝでいゝぢやないか。
とね  ほんとに、いゝんですか。でも、あんたは、そのことを一番心配してるんぢやありませんか。あたしに隠したつて駄目ですよ。この二三日、そんなら、どうして、あたしに対する態度を、がらつと変へちまつたんです。娘さんの方に気を取られてつて云へばそれまでかも知れないけれど、あたしにや、もつとあんたの深い気持がわかるつもりですよ。
州太  ひがむのはよせ。
とね  いゝえ、ひがみなんかぢやありません。あたしは、たゞ、幾度も云ふやうに、二葉さんに会つて、中途半端な口の利き方をするのがいやですからね。娘なら娘、お嬢さんならお嬢さん、さういふところをはつきりさせたいんです。
州太  その、どつちでもなければ仕方がない。
とね  ぢや、お友達でいゝんですか。それとも姉妹《きようだい》……?
州太  まあ、そんなところさ。
とね  さういふ関係で、二葉さんは承知しますか。
州太  承知するもしないもなからう。
とね  あんたは、それで、どうもないんですね。
州太  どうもないよ。
とね  ほんとですね。
州太  うるさいな。
とね  余計な苦労をして、損しちまつた。
州太  何がだい。
とね  あんたが、二葉さんに気兼ねだらうと思つてよ。
州太  気兼でなくもないがね。
とね  それ御覧なさい。
州太  だからと云つて、今更、お前を女中扱ひにも出来まいぢやないか。
とね  うれしいわ。
州太  その代り、しつかり頼むよ。つまらんところで、おれに恥をかゝせないでくれ。
とね  どういふところ……?
州太  考へたらわかるだらう。
とね  わからない。
州太  娘の眼に、おれが道楽者に見えても困るからな。
とね  はつきり云つて頂戴よ。
州太  もう、その話はよせ。おれは今、非常に六ヶ敷い問題を考へてるんだ。子供を裁くのは、なぜ親でなければならんかといふ問題だ。おれは、今、親でありながら、子供になつてみてゐる。さうすると、娘の二葉が、実は、娘のやうな気がしないんだ。丸で母親のやうな気がする。この気持は、ちよつとお前にはわかるまいが、それやしみじみとした、嬉しいとも悲しいともつかん気持だ。もうぢき、あいつが此処へ帰つて来て、われわれ二人を不審らしく見くらべるだらう。その時、おれたちは、なにも云ふまい。あいつは、きつと、万事を察しるだらう。おれたちは、そつと、あいつの顔色を見よう。おれは、あいつの眼から、すべての色を読むことができる。若しそれが、憤りか蔑みの色だつたら、おれは、手をついて、あいつに赦しを乞ふつもりだ。
とね  ……。
州太  お前には、おれの過去といふものを、まだ話したことがない。あいつの母親は、あいつが生れるとすぐに、おれたちを捨てゝ行衛を晦ましたのだ。いや、晦ましたわけではない。おれには、今、その女が、何処で何をしてゐるかさへわかつてゐるんだ。
とね  ……。
州太  おれが今、なぜこんな話をして聞かせるかと云へば、あいつが今日、この家の中へはひつて来るまでに、それだけのことはお前に知つておいて貰ひたいからだ。あいつが女学校を卒業すると間もなく、おれは、裸一貫に借金を背負ふからだになつた。あいつは、自分で、食ふ道を探し出した。おれがこの仕事をはじめるまで、丸三年、あいつは、親から一銭の小遣も貰つてゐない。
とね  ……。
州太  去年の春、おれは、久々で、あいつに晴着を買ふ金を送つた。それと一緒に、おれも、二十五年振りに、お前といふきまつた女を手に入れたわけだ。
とね  手に入れたはひどいでせう。
州太  手に入れたはひどいか。そんなら取消さう。
とね  取消さなくつてもいゝわよ。
州太  ぢや、どうしよう。

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州太は晴れやかに笑ひながら、テラスに姿を現す。山鳩がしきりに鳴く。
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とね  (突然、前の方を指さし)あれ、さうでせう。
州太  ほう。自転車の護衛がついてるぜ。
とね  お姫様のお成りですもの。
州太  荷馬車の上でパラソルは洒落てるね。(間)
とね  献さんが大真面目で馬をぶつてるわ。(間)
州太  笑つてやがる。
とね  なんとか合図をしておあげなさいよ。(間)
州太  (聞えないふりをして)なんだ、あの黒い四角な箱は……。(間)
とね  丈が随分高いわね。ちよつと、断髪か知ら……。

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遠くで、「たゞいまあ」といふ快活な女の声。州太は、機械的に走り出ようとするが、思ひ直して、そこに踏み止る。立つても坐つてもゐられないやうな気持を、強ひて抑へてゐる様子がありありと見える。
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     二

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翌朝。
谿流に莅んだ温泉鑿掘の現場。――櫓、番小屋。
酒樽を水槽とし、その中に筧の水が落ち込んでゐる。
洗面所、洗濯場などの簡単な設備。
斜面の稜線から浅間の頂がのぞいてゐる。
新井務が顔を洗ひ終つて、その場を立去らうとすると、州太が、歯を磨きながらどてら姿で現れる。無言の会釈。
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州太  (呼びとめて)おい、飯を食つたら、駅へ行つて、畳屋へ電話をかけてみてくれ。それから、序に、牛肉を二斤ばかり頼んで来い。
新井  承知しました。僕は、なんなら、番小屋へ寝てもいゝんですが…………。
州太  (口をすゝぎ)部屋はあるんだから、かまはないさ。
新井  あれはどうしませう、印刷屋の方は…………。今日中に区劃割の地図だけでも刷《す》つとく方がいゝと思ふんですが……。
州太  あゝ、その方も急いでくれ。お前もちつと忙しすぎるな。(顔を洗ひながら)そのうちに、現場の方は、人を一人いれよう。
新井  それより……(声を落とし)今、こんなこと云つちやなんですけれど、水道の木管は、あいつ、どうにかならないでせうか。去年の代金を渡さなけれや、後を寄越さないつて云つて来てるんですが。

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その時、番小屋の裏から、二葉(二十四)がひよつこり姿を現す。朝日を顔いつぱいに受けて、明るく笑つてゐる。
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州太  (新井に)その話は、あとでしよう。(二葉に)よう、もう起きてるのか。どうだ、寒くはなかつたか。
二葉  いゝえ。今、その辺をずつと歩いて来たとこなの。いゝところね。
州太  気に入つたかい。
二葉  なんだか、想像と丸で違ふんですけれど、想像よりは、ずつと大きな、伸び伸びとした景色ね。
州太  これでも、やうやく、人間が住める場所にしたんだ。来年の夏は、あの上の方に、ずつと別荘が建つ。東京の銀座とまでは行くまいが……。自動車も二三台は置くつもりだ。
二葉  来年の夏つていふと、随分間があるわね。
州太  それや、お前、未開から文明へ遷るためには相当の年月がかゝるよ。その代り、それだけのことをやつてしまへば、わしらも、夏だけ此処にゐて、あとは東京でなりなんなり暮せるわけだ。見といで、お前にも好きなやうなことをさせてやるから……。もうひと辛棒だ。
二葉  好きなことつて、あたし、今のまゝで結構よ。それに、あたし……。(さう云ひかけて、番小屋の前のベンチに腰をおろす)
州太  どうした。
二葉  ある人と結婚する約束をしたの。

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長い沈黙。
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州太  それで……。もつと詳しい話を聴かうぢやないか。
二葉  その人、まだ学校へ行つてるのよ。家はちやんとしてるらしいの。市会議員にもなつたことがあるんですつて、お父さんは……。でも、学校を卒業しないうちは、結婚なんか許してくれないでせう。来年の三月までよ、それも……。家の方で変にとるといけないから、勤めなんかよして、しばらくお父さんのそばにゐてくれつて、その人、あたしに頼むもんだから、さうすることにしたの。随分、いろいろ考へたのよ。それや、愛してくれてることはたしかなの。家で許してくれなけれや、そん時は、断然、飛び出しちまふつて、それほど真剣なの。
州太  大丈夫かい、こんどは……。前のやうに、また、金持へ養子
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