ことがあるのを、大袈裟に云つたんだわ、きつと……。
州太 お前も運の悪い女だ。
二葉 運が悪いんぢやないわ。あたしが悪るかつたのよ。でも、可笑しいもんね。一番自分に近い人間に、一番ほんとのことが云へないなんて……。
州太 ほんたうのことゝいふのは、一番聞きづらいことだからさ。だが、これから、わしは、お前になんでも本当のことを云ふからね。
二葉 あたしもさうするわ。
州太 あゝ、さうしてくれ。さうしてくれゝば、わしはもう、なんの苦労もない。
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長い間。
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州太 あの音を聴いて御覧……。
二葉 ……。
州太 なあ、おい、二葉……。
二葉 (慄然と、跳び退く様な身構へで)いやよ、そんな声して……、気味が悪いから……。
州太 なるほど、お前には、もうわしの云はうとしてることがわかると見える……。
二葉 お父さんつたら……。
州太 かういふ云ひ方をしては不味《まづ》いな。しかし、今日、家《うち》を出る時、お前はどうしてあんなにはしやいでゐたんだ。わしも、出来るだけ平静を装つてゐた。だが、お前にも、わしにも、あゝいふ事件が起つた後で、この思ひ立ちは少し不自然すぎた。おとねが、よく黙つてわしたちを出したもんだ。なあ、お前は、さう思はんか。
二葉 人からみれば不自然でも、あたしたちには、それが自然ならいゝぢやないの。悲しみや、不愉快を紛らす方法は、人によつて違ふんだわ。もう、そんな話、よしませうよ。折角、あたし、忘れてたのに……。
州太 わしも、早く忘れたい。出来ることなら、永久に忘れてしまひたい。今更、愚痴も可笑しいが、わしは、自分の最後の事業が、脆くも失敗に帰したことを、お前にだけは隠しておきたかつた。隠しおほすために、あらゆる苦心をしたんだ。それが、あさましい今日の結果だ。わしは、もう起ち上る勇気がない。いや、勇気はあつても、力がないのだ。これは、五十年間生きて来た男の、自分を識りぬいた揚句の声だ。誰が何んと云はうと、わしの精根は尽き果てゝゐる。神が若し、これ以上この男に寿命を与へるなら、その神こそ、無慈悲な悪戯者だ……。
二葉 いやだわ、そんなこと云つちや……。(間)さうよ、お父さんが、あたしの眼を、明るい方にばかり向けさせようとして下すつた、そのお心持は、むろん、よくわかつてゝよ。(間)それから、この先々、今迄のやうな生活には、もう堪へられないつておつしやることも、なるほど、さうかも知れないつて気がしますわ。しかし、なんにもしないで、生きてだけいらつしやることが、どうしておいやなの? お父さんさへ我慢して下されば、あたしが働いて、お父さんお一人ぐらゐ、楽に養つてあげられるわ。それも、あたしたちに取つて、結構面白い生活だと思ふわ。
州太 わしは、お前に慰めて貰ふ必要はないよ。また、さういふ資格もないわけだ、だつて、お前にも、わし以上の……わしとはまた違つた、なんといふか、心の苦しみがあるだらう。さつきお前は、今それを忘れてゐるなんて云つたが、そんなことで、満足なのか。日が昇ると、山を降りなけれやならんぞ。悲しみは、この下で、あの家で、空から遠いあの地べたの到るところで、お前を待ち受けてゐるんだぞ。お前は、今日、あの青木といふ男に、癒りかゝつてゐる心の古傷を、またあばかれたと云つたね。その傷口が、今度癒りかける時分に、何れまた、誰かゞあばかずには置かないのだ。さうして、次ぎ次ぎと、お前の生涯は、苦しみの連続だ。わしが保証しておくよ。
二葉 さう云へば、あたしが死にたくなると思つてらつしやるんでせう。大変な間違ひよ、お父さん……。(無理に笑ふ)をかしいわ。あたし……(また笑ふ。が、今度は、その笑ひが自然と泣き声に変つて行く)やつと、わかつたわ。お父さんは、あたしを……あたしを……此処まで……。
州太 さうだ。お前を一緒に連れて行きたいんだ。わしは、お前を置いて、一人で死にたくないんだ。こいつは、多分、我儘な親の願ひかも知れん。しかし、また、同時にお前を不幸の数々から救ふ唯一つの手段に遠ひない。なるほど、お前にはまだ、若い時代の希望とか夢とかいふものが、少しは残つてゐて、たゞそれだけが、お前の決心を鈍らせるだらう。思ひ出して御覧、お前がまだ小さい時分、よくお菓子をねだつた、それをわしは、いちいち、そんならと云つて食べさせたか。ところが、今になつて、お前は、このわしが無理だつたと思ふか?
二葉 いゝえ、いゝえ、そんなことゝは比較にならないわ。お父さんに……今のお父さんに、そんな権利はないわ。いやよ、あたし、いやよ、まだ死ぬなんて……。
州太 さうか。そんなら、わし一人を死なせるつもりだね。お前は、黙つてそれを見
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