心持は、むろん、よくわかつてゝよ。(間)それから、この先々、今迄のやうな生活には、もう堪へられないつておつしやることも、なるほど、さうかも知れないつて気がしますわ。しかし、なんにもしないで、生きてだけいらつしやることが、どうしておいやなの? お父さんさへ我慢して下されば、あたしが働いて、お父さんお一人ぐらゐ、楽に養つてあげられるわ。それも、あたしたちに取つて、結構面白い生活だと思ふわ。
州太 わしは、お前に慰めて貰ふ必要はないよ。また、さういふ資格もないわけだ、だつて、お前にも、わし以上の……わしとはまた違つた、なんといふか、心の苦しみがあるだらう。さつきお前は、今それを忘れてゐるなんて云つたが、そんなことで、満足なのか。日が昇ると、山を降りなけれやならんぞ。悲しみは、この下で、あの家で、空から遠いあの地べたの到るところで、お前を待ち受けてゐるんだぞ。お前は、今日、あの青木といふ男に、癒りかゝつてゐる心の古傷を、またあばかれたと云つたね。その傷口が、今度癒りかける時分に、何れまた、誰かゞあばかずには置かないのだ。さうして、次ぎ次ぎと、お前の生涯は、苦しみの連続だ。わしが保証しておくよ。
二葉 さう云へば、あたしが死にたくなると思つてらつしやるんでせう。大変な間違ひよ、お父さん……。(無理に笑ふ)をかしいわ。あたし……(また笑ふ。が、今度は、その笑ひが自然と泣き声に変つて行く)やつと、わかつたわ。お父さんは、あたしを……あたしを……此処まで……。
州太 さうだ。お前を一緒に連れて行きたいんだ。わしは、お前を置いて、一人で死にたくないんだ。こいつは、多分、我儘な親の願ひかも知れん。しかし、また、同時にお前を不幸の数々から救ふ唯一つの手段に遠ひない。なるほど、お前にはまだ、若い時代の希望とか夢とかいふものが、少しは残つてゐて、たゞそれだけが、お前の決心を鈍らせるだらう。思ひ出して御覧、お前がまだ小さい時分、よくお菓子をねだつた、それをわしは、いちいち、そんならと云つて食べさせたか。ところが、今になつて、お前は、このわしが無理だつたと思ふか?
二葉 いゝえ、いゝえ、そんなことゝは比較にならないわ。お父さんに……今のお父さんに、そんな権利はないわ。いやよ、あたし、いやよ、まだ死ぬなんて……。
州太 さうか。そんなら、わし一人を死なせるつもりだね。お前は、黙つてそれを見
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