(怒りを制して)みんな、よく聴け。わしは、決してお前たちを見殺しにはせん。
声  殺されてたまるけえ。
州太  無駄働きはさせんといふのだ。どんなことをしてゞも、報酬は払ふ。わしは裸になつても、お前たちが仕事をしたゞけの賃金は、完全に支払つてみせる。
声  そいつを早くしろ。
州太  たゞ、事業といふものは、事業が大きければ大きいほど、思惑通りには行かんものだ。そこを、みんなが辛棒して……。
声  そんな講釈は聴きたかねえ。
州太  さうか。よし。(黙つて、天井を見る)
献作  わしらも、無理なこたあ云はねえだよ。せめて、こゝ、十日分だけでもきちんとして貰へば、またあと十日ぐらゐは、待つてもえゝだ。なあ、おい(後ろを振り向く)
声  そんな腰の弱いこつちや駄目だ。

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人夫達を掻き分けて新井がはひつて来る。はひつて来たが、彼は茫然と、この有様を見守つてゐるだけである。
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州太  (新井に)わしには、もう、方法がない。お前、なんとか解決をつけてくれ。なにがどうなつてもかまはん。欲しいものは、みんな呉れてやれ。

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新井は、州太と、人夫達の群とを見比べて、処置に窮してゐる。この時、静かに左手の扉が開いて、二葉の姿が現れる。彼女は、黙つて、父の傍に近づき、一言二言、何か囁いた後、人夫一同の方に向ひ、低いが、極めてはつきりと――
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二葉  こゝに、あたしの貯金が三百円ばかりあります。あなた方、お父さんを信用なさらないなら、これを持つて行つて、お金を引出していらつしやい。此処の郵便局で手続きを教へてくれるでせう。判も一緒につけて置きます。

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人夫達の私語が一つ時続いた後、
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声  残りはどうしてくれるんだい。
州太  明日、どうにかする。今日は、これで引取つてくれ。
献作  ぢや、さうするか。

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一同が、ぞろぞろ帰つて行くのを、州太は、ぢつと見送る。
二葉は、その父の顔を、悲痛な眼ざしで見守つてゐる。
新井は、首を垂れて、扉を閉めに行く。
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