がつかなんだ。さうか。さういふわけか。(新井に)すると、お前は別に用はないから、もう一度駅まで行つて、何か珍しさうな鑵詰を、三つ四つ頼んで来い。それから鶏を一羽とな。序に則子さんを送つて行つてあげろ……。自動車を使つてもいゝから……。
則子  ありがたいツと……。ぢや、さよなら……みなさんによろしく……。

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則子と新井とが出て行くと、州太は、独りで室内を歩きまはる。
長い間――
やがて、とねが、跫音を忍んで現れ、州太の耳もとへ口を寄せ、何か囁く。
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州太  なに? そんなことはわかりやせんよ。第一、他人《ひと》の話を盗聴きなんかするな。
とね  (また、なにか囁く)
州太  そこがいゝとこぢやないか。几帳面な間柄つていふものは、久振りで会つたからつて、さう馴れ馴れしくはせんよ。
とね  いくらなんでも、それや無愛想な口の利き方ですよ。二葉さんは、もう、半分泣いてるやうでしたわ。
州太  いゝから、あつちへ行つて、飯の支度でもしろ。今、新井を駅へやつたが、今夜の間には合ふまい。鶏ぐらゐ、手にはひるかも知れん。
とね  ほんとに、いゝんですか。若いもの同志ですから、どんなことで……。

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彼女はまた、跫音を忍んで、奥へ去る。
州太は、その後から、これも抜足差足で戸口に近づく。
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州太  (声を潜めて)おい、おとね、もう一度、様子を見て来い。なにか、変つたことがあつたら、さう云へ。

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さう云ひ終つて、彼は、戸口に佇んでゐる。
長い間――
やがて、また、とねの姿が現れる。
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とね  (低い声で)詳しい話は、よくわからないんですけどね、なんでも、二葉さんが、あの人に隠してたことがあるらしいんですよ。
州太  隠してたこと? なんだ、それや……。
とね  (制して)駄目ですよ、大きな声をしちや……。二葉さんの方の云ふことがよく聞えないんですよ。男の方ぢや、かう云ふんです。――「それぢや、あなたは、さういふ事実を認めるんだね」つて……。
州太  それで、二葉の返事は……。
とね  黙つてるらしいんで
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