さないだけだ。
二葉 ほんとによかつたわね。かういふことが、何時かなくつちや嘘だわ。あたし、自分だけが幸福なんぢやないかと思つて、こゝへ来るまで、随分気が気ぢやなかつたのよ。こんな淋しい山の奥で、お父さんが汗だらけになつて働いてらつしやるんだと思ふと、それだけで涙が出さうだつたわ。しばらくでもお側にゐて、できるだけお手伝したり、元気をつけてあげたりしようと思つて来たの。
州太 それや無論、お前が側にゐてくれゝば、お父さんも元気が出るさ。
二葉 でも、あたし、ほんたうは、そんな孝行娘の真似なんかしなくつてすめば、その方がありがたいわ。自分だけで、空想を楽しんだり、お父さんを少し怒らしたりする方が好きなんですもの。
州太 お父さんは怒らないよ。
二葉 なにをしても……?
州太 うん。
二葉 なにを云つても……?
州太 うん。
二葉 珍しいお父さんね。
州太 何か云ひたいことがあるんだらう。
二葉 それや、おほありよ。
州太 云つて御覧。(娘の側に近寄り、その顔を見下ろす)
二葉 (無意識に立ち上り、父の視線を避けるやうにして)あのね……あの女の方、どういふ方……?
州太 おとねつていふ女か。(間)お前はなんだと思ふ?
二葉 あたしに云はせるの? ずるいわ……。
州太 おほかた察しがつくだらう。わしは、お前に、なんにも隠さない。(間)その通りだ。
二葉 結婚なさるおつもり?
州太 はじめは、そんなつもりぢやなかつた。今でも、そんなことは考へてない。しかし、お前が勧めるなら、結婚してもいゝ。
[#ここから5字下げ]
長い間。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
二葉 それだけのことがわかれば、もういゝのよ。
州太 それだけのことが、どうして知りたかつたんだ?
二葉 さうね、好奇心よ、きつと。
州太 好奇心……? そんな風に誤魔化さなくつてもいゝ。わしは、お前の前で告白をするが、あの女とわしとの関係は、お前たちが想像もつかないやうな、俗つぽい、だらしのない関係だ。あれは小諸で芸者をしてゐた女だ。いろいろ苦労をした揚句、商売を止めたいといふから、わしも今、独り身ではあり、引取つて世話をすることにしたんだ。向うも、男なら、わしと限つたわけでもあるまいし、こつちでも、あれでなけれやならんといふほど、
前へ
次へ
全38ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング