とする余り、道徳を無視し、法律に逆ふといふやうな傾向が、過去のヨーロッパの風潮になつたことがあります。唯美主義或は耽美主義と名づけられたものがそれです。
 それほどではなくても、趣味人とか風流人とか云はれるもののなかには、なんでも「美しく」ありさへすればいゝといふやうな態度で、生活万般を律してゐるものがあります。これがつまり、「文弱」であります。
 何事によらず、専門となると、自分の仕事が世の中で一番尊いもののやうに思ひ込み、自分だけはそれでいゝとしても、他にその考へを押しつけます。
 文学者は文学者風に(文学的にでさへもなく)すべてのものを観、批判し、それが知らず識らず読者に伝はつて、文学者でもないのに、文学者風な、ものの観方、考へ方をするものを作るやうになることがあります。それが何時でも危険なわけではありませんが、屡々厄介なことがあります。
 どう厄介かといふと、往々にして、文学者は、自分一個の偏つた主観を、全体の人に通じるかの如く、極めて巧妙に客観化する技術をもつてゐて、しかもそれを魅力のある表現に托するからであります。
 かういふ文学は、たまにさういふ文学としてそのつもりで読ま
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