は、社会の秩序を保ち、人間の品位を高めるものでありますが、それと同時に、「敬」と「愛」とは二にして一なのでありますから、「愛情」そのものの秩序をも規定するひとつの形式とみることができます。
 その意味で、「礼儀」はまた、「生活のうるほひ」に欠くべからざる要求であります。
 極く最近までの一時代を顧みてみますと、「礼儀」を形式にすぎずと云つて軽蔑する傾向がありました。礼儀そのものを排斥したのではありますまいが、礼儀と称せられる昔からの形式を、時代にふさはしくないものとして度外視しようとするところから起つた行過ぎでありませう。
 心に礼あればおのづから形に現れるといふ理窟に間違ひはありません。
 ところが、実際は、形に礼なければ心おのづから礼を失ふ結果になるのであります。
 こゝで一つの例を挙げれば、日本人は非常に含羞《はにかみ》やである、照れ屋である、と私ばかりでなく、多くの人は認めてゐます。昔からさうだつたとすれば、これは国民性、民族性のどこかにその原因があるのですが、ちよつと明確には云へません。多分、自尊心のひとつの現れではないかといふことは、次のことでわかると思ひます。とにかく、現
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