つもりでありますが、そもそも、「生活」のなかの希望とは、やはり、なんと云つても、正しい意味における「幸福な生活」を想ひ描き、それに一歩々々近づく可能性を信じることでありませう。
「希望」は精神のうちに棲む「不死鳥」であります。一つの「希望」が失はれたと感じる瞬間、それに代る第二の希望がもうそこに生れてゐるといふのが、溌剌たる精神の常態でなければなりません。「希望」はどんな小さなものの中からも生れます。「希望」はまた、どんな手近なところにも作り得るのです。一粒の朝顔の種が塵ともなり希望ともなるといふことを考へてみればわかります。
それからまた、「生活のうるほひ」の一つの重要な要素は「愛情」であります。
元来、「愛情」を全く失つた人間といふものがあり得るでせうか。私はないと信じます。たゞ、時には、「愛情の涸渇」といふことが起るだけです。人間にとつて最も不幸な現象であります。それは、愛情を受け容れ、また、愛情を表示する能力が停止した状態をいふので、一種の精神的不具であります。かういふ人物に接すると、われわれは、人間の生きてゐることの惨めさをつくづく感じさせられます。
それほどではなく
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