ば、油断をせぬこと、頭が自由に働くことであります。また一方から云ふと、何かに没頭しきることはあつても、時々は「我に返る」ことを忘れないこと、つまり、「かまけ」ないやうにすることであります。常に自分が自分の主《あるじ》であることであります。
 従つて、勉強や仕事の最中にも、「心のゆとり」といふものはなければならず、それによつて、勉強も仕事も実際に成績があがるのみならず、そこにおのづから、歓びを味ふこともできるわけであります。

 次に、「生活のうるほひ」となるものに「希望」があります。青年ならば、これを「夢」と呼んでもいゝでせう。
 とにかく、希望のないところに生活はないと云つてもいゝくらゐで、その希望が輝かしいものであればあるほど、「生活」は活気に満ち、「うるほひ」に富むものとなります。
「希望」と一と口に云つても、その種類程度は様々でありますが、いつたい、希望は、在るものではなく、作るもの、生むものだと、私は信じます。誰にしても、「希望」がないなどといふことは嘘で、若しさうだとしたら、それは、希望を作る力、生む力がないといふことになります。
「青年の夢」については、後の章で詳しく語る
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