傾けることと、興奮することとは別であることを知り、人との接触に於ても猥りに感情に走るやうな言動を慎み、すべての浪費を蓄積に代へることであります。
「心のゆとり」は、決して、「暢気《のんき》」といふことではありません。余裕綽々といふ状態を云ふのです。この心境に達するのは容易なことではなく、そして、それがためには、第一に、大きな「智慧」を必要としますが、この「智慧」の大小に拘らず、これをいつぱいに働かすといふことの努力は、差しあたり、誰にでもできることでありまして、青年は青年なりに、日本人特有のこの「智慧」を、青年らしく活溌に働かせてほしいものです。
 早く勉強なり仕事なりを片づけて遊ぶ暇を作る、といふやうなことが「心のゆとり」だと思ふと、これも大間違ひであります。
 なるほど、「よく学びよく遊ぶ」といふことも、ごく単純な子供心にはわかり易い訓へでありませうが、これはうつかりすると、「遊ぶために学ぶ」、即ち「楽しみを獲るためにいやな仕事でもする」といふやうな本末を顛倒した考へ方に陥りがちであります。
「心のゆとり」は、平生何をしてゐようと必要な精神の在り方を云ふのでありまして、一方から云へ
前へ 次へ
全62ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング