得ればこれを是正することに努めたいものです。
国民士気の昂揚が、とかく感情の上では成功と考へられながら、意志の現れとしては、まだまだ完全にその成績を挙げ得ないといふのは、こゝに原因があると思ひます。
しなければならぬと教へられゝばわかる。で、国のためとあれば、したい気持だけはいつぱいにもつてゐる。だが、実際にそれをやり遂げるために、まだ何かが足りないといふところが往々みえます。その足りないのは、「意志」の力だと私は信じます。
やればできる力をもつてゐながら、なかなかやらうとしない一種の引込思案、乃至は億劫がり、右|顧《こ》左|眄《べん》、いづれも、「意志」の栄養不良、動脈硬化、関節不随であります。
「熱し易く醒め易い」などと云はれるのは、戦ふ国民として、敵をして乗ぜしめる最大の隙でありませう。
「意志」の鍛錬は、幸にして、感情の豊かさ、鋭さに俟つところが大きいのでありますから、日本人の一方の特性は、他の弱点を補ふことはできぬとしても、これを矯め直し、鍛へあげるための、最も有力な条件となります。
「愛国心」の如き、「自尊心」の如き、「競争心」の如き、「義侠心」の如き、いづれも主として感情的な日本人の心理の現れでありますが、これこそ、「勇気」とか「忍耐」とかの如き意志的な行動の根柢となり得るものでありますし、要はその持続性の問題であります。
「斃れて後已む」と言ひ、「石に噛りついても」と云ふ、あの意気と頑張りは、本来、訓練によつて十分日本的な性格となり得ることを忘れてはなりません。
困難を困難として堪へ難く思ふといふことは、決して感情の鋭さではなく、寧ろ感情の過剰であり、放恣であります。この感情に引き摺られて挫折する意志といふものは、必ずその弱さを弁護する口実を作るものです。これには一種の理知が働くわけで、しばしば、意志の敗北を理性の勝利と見做したがる風習が生じます。「諦め」の名による逃避がそれであり、「分別」の名による「ごまかし」がそれであり、「控へ目」の名による無為がまたそれであります。
「意志」の力は、それゆゑ、まづ何よりも、正しい道義観と素直な頭の働きを土台とし、更に豊かな感情の発露と相俟つて、はじめて、誤らざる方向に向つて推し進められるのでありまして、さて、その力が強大であることと、持続性をもつこととはどうしても鍛錬による自信を必要とするのです。
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