国家総力戦とは、明らかに、国民の「生活」をもつてする戦ひ、「生活戦」をも含むものであります。それは結局、「生活力の強化」を以てこれに当らなければなりません。「生活力の強化」とは、言ひ換へれば、必要な物資の最少限度までを確保するための工夫努力と、その目的を達するため、及び、物資の欠乏に堪へ、しかも、それと関係なく「生活」を豊かならしめる精神力の培養と発揮とを、国民全体がひとしく心掛けることでなければなりません。
「戦時生活」に於ける「生活のうるほひ」は、正に、戦時であればこそ、一層その必要が痛感されるのだといふことを、こゝで断言しておきます。
「うるほひ」といふ言葉が、なにか弱々しい響きをもつやうに聞えるかも知れませんが、それは言葉の深い意味を解しないからであつて、機械や革具でさへも油が必要なことを思へば、「生活」に「うるほひ」を与へることは、決して、質実剛健と相反するものでないことがわかる筈であります。
 さて、「生活のうるほひ」は、先づ、「心のゆとり」といふものを根本の要素とします。
 緊張のなかにおのづから沈著と冷静を保ち、無益の疲労を避け、常に秩序ある生活を営むことです。情熱を傾けることと、興奮することとは別であることを知り、人との接触に於ても猥りに感情に走るやうな言動を慎み、すべての浪費を蓄積に代へることであります。
「心のゆとり」は、決して、「暢気《のんき》」といふことではありません。余裕綽々といふ状態を云ふのです。この心境に達するのは容易なことではなく、そして、それがためには、第一に、大きな「智慧」を必要としますが、この「智慧」の大小に拘らず、これをいつぱいに働かすといふことの努力は、差しあたり、誰にでもできることでありまして、青年は青年なりに、日本人特有のこの「智慧」を、青年らしく活溌に働かせてほしいものです。
 早く勉強なり仕事なりを片づけて遊ぶ暇を作る、といふやうなことが「心のゆとり」だと思ふと、これも大間違ひであります。
 なるほど、「よく学びよく遊ぶ」といふことも、ごく単純な子供心にはわかり易い訓へでありませうが、これはうつかりすると、「遊ぶために学ぶ」、即ち「楽しみを獲るためにいやな仕事でもする」といふやうな本末を顛倒した考へ方に陥りがちであります。
「心のゆとり」は、平生何をしてゐようと必要な精神の在り方を云ふのでありまして、一方から云へ
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