しろ、草木にしろ、生物にしろ、乾《ひ》からびるといふことは、養分がなくなることで、機能の衰退、死滅を意味します。
 人間の日常生活に於て、身体の栄養以外に、心の栄養といふものが考へられます。空気や水に匹敵するものもあれば、調味された食物に比ぶべきものもあります。そして、栄養は、これを外から吸収消化するために、身体にそれぞれの機関が備はつてゐる如く、精神も亦、外部の栄養を摂取し、これを精神的血肉とするために、必要な機能を備へてゐなければなりません。
 この外部から受け容れる栄養の豊かさと、内部に於ける働きの円滑な状態を指して、「生活のうるほひ」と呼ぶのであります。
 従つて、「生活のうるほひ」は、あくまでも精神の問題であつて、決して物質の乏しさに脅かされるものではありません。むしろ、物質的なものを極度に節約して、精神的なもので生活を満たすことこそ、生活の真の「うるほひ」と云へるのです。
 戦時生活の、いはゆる「物資欠乏」を伴ふことは、われわれの既に経験しつゝあるところであります。ところが、その「物資欠乏」が、われわれの精神に及ぼす影響は、戦時生活の他の面、即ち、戦場の消息とか、敵機の襲来とか、国際情勢の変化とか、政界の空気をはじめとする政治の動向とかいふもの、更に、家庭を中心とした四囲の人事的な動き、市井の物情などから受ける衝撃や感動や不安といふやうなものに比べて、現在では、殆ど同じくらゐになつてゐるやうに思はれます。むしろ、私の観るところでは、「物資の欠乏」といふことが、現在の国民生活を、もつと別の形で左右すべきだと考へるのです。それは、幸ひにして、「物資の欠乏」の程度が、他の交戦国からみれば、まだまだ余裕がある方なのですから、それを今のうちに、「何時までも持ちこたへられる」かたちにする計画と、その実践がなによりも必要なのであります。それに払ふ努力をいくぶん等閑に附して、たゞ物資不足を歎いたり、それに不安を感じたり、そのために気持が荒んだりするといふことは、まつたく日本人らしからぬことであります。
 しかしながら、戦時生活のあらゆる条件は、人心に必然的な動揺を与へ、生活の色調も亦、これに応じて、いくぶんの変化を示します。この変化が、「生活の悪化」となり、単に物質的な面ばかりでなく、精神的にも、「生活力の涸渇」となるやうに、敵はあらゆる術策をめぐらしつゝあるのです。

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