現象を反映した一種の偏見がみられます。女性を汚れあるものとし、或は、度し難いものとする傾向の如きは、まつたくそこから来てゐます。女三従説、即ち、家に在つては親に従ひ、嫁しては夫に従ひ、夫死しては子に従ふといふ教へですが、これも、支那流の男尊女卑と関係なく、真に日本的な「家」の精神から理解しなければ、甚だしい時代錯誤に陥ります。
 事実、男尊女卑は日本の思想ではなく、夫唱婦和の妙諦は、夫の責任と妻の信頼とから生れるものであることを、日本の男と女ほど、よくこれを知るものはないのです。
 服従が若し日本の女性の美徳であるとすれば、その服従は、男に委せるべきものを委せきる果断と、没我の勇気から来るものであると信じます。それゆゑ、女の服従は、男の決意をいやが上にも固めさせ、行為の責任を益々自覚せしめる力となるのであります。

 嘗てフランスの詩人、ジャン・コクトオが、接客の儀礼を鮮やかに身につけた日本婦人の多くをみて、これを「奉仕の女王」と呼びましたが、男に奉仕するが如く見えて、実は、男に尊敬の念を喚起させる、あの「しとやかさ」と作法の技術的錬磨のなかに、威厳、鷹揚さ、気品、といふやうなものを外
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