てゐると自ら信じてよろしい。さういふ「感覚」を備へてゐて、しかも、今時、いちいち、そんなことにばかり神経を使はず、自分たちの時代になつたらと、やがて来る光栄の日を待ちながら、その「感覚」を益々研ぎ澄ましておいてほしいものです。
 青年の力が当然ものを言ひ、自分の意志で物事が処理できる場面で、この「卑俗さ」が忍び込むのを警戒し、阻止しなければならぬ機会は、ほかにいくらでもあります。但し、それは、周囲に気を配ることではない。自分自身の皮膚が犯されるか、犯されないかの問題です。「卑俗さ」は怖れるには当らぬもの、たゞ、何処にあるかがわかつてゐればいゝものです。それはちやうど黴菌のやうなものです。これに対しては、過度の潔癖は禁物で、精神の健康が何よりの抵抗力であります。
「滔々と」といふ形容が実によく当てはまる現代の世相の「卑俗さ」は、是非とも、この戦争の遂行中に、国民の自覚と努力によつて一掃しなければならぬものですが、実を云へば、これはもう、心構へや工夫の問題ではないのです。いはば時代を覆ふ不治の病ひのやうなもので、恐らく、成育期を異にする新しい世代の登場を俟つて、はじめて面目を改め得るていの
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