とを指しますが、一般には、それぞれの職分を達成するための実質的能力と、事に臨んで臆せざる剛毅にして果敢な精神でありませう。
かういふやうに、「花《はな》」と「実《み》」とをはつきり分けて考へなくてもよく、また事実、さうはつきり分けられないところもありませうが、便宜上こんな説明をしてみただけです。
こゝで注意すべきことは、「戊申詔書」のなかにも、「華ヲ去リ実ニ就キ」と仰せられてある、この「華」といふ言葉は、「花も実もある」の「花」ではなく華美とか浮華とかいふ場合の、軽薄な装飾、つまり、「虚飾」を云ふのでありまして、これはまつたく問題が別であります。
要するに、花《はな》と云ひ実《み》と云ひ、それが美であらうと力であらうと、単にその時々の心構へや努力だけではどうにもならぬものであります。
その意味で、「氏」と「育ち」は昔から、人間の人格価値を大部分左右するものとされてゐるのであります。が、少くとも、日頃の工夫鍛錬は、「育ち」の延長として、自己育成の仕上げともみるべき決定的事業です。「嗜み」の「嗜み」たる所以もまたこゝにあるのであります。
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